奥野信太郎(読み)オクノ シンタロウ

20世紀日本人名事典 「奥野信太郎」の解説

奥野 信太郎
オクノ シンタロウ

昭和期の中国文学者,随筆家 慶応義塾大学教授。



生年
明治32(1899)年11月11日

没年
昭和43(1968)年1月15日

出生地
東京市麴町区紀尾井町(現・東京都千代田区)

別名
号=凱南

学歴〔年〕
慶応義塾大学中国文学科〔大正14年〕卒

経歴
珊瑚集」「海潮音」を少年時代に漢訳するなど早熟ぶりを発揮。「三田文学」に投稿をはじめ、与謝野晶子、鉄幹らの知遇を得る。昭和11年から13年まで北京に留学。帰国後は中国文学研究のかたわら、随筆を数多く発表。23年から慶応義塾大学教授を務めた。著書に「文学みちしるべ」「随筆北京」「日時計のある風景」「柘榴の庭」などの他、「奥野信太郎著作回想」(全2巻 三田文学ライブラリー)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「奥野信太郎」の意味・わかりやすい解説

奥野信太郎
おくのしんたろう
(1899―1968)

中国文学者、随筆家。東京の生まれ。陸軍軍人を父にもつ厳格な家庭に育ったが、陸軍士官学校をわざと落第浅草オペラに入りびたるなどして、21歳、慶応義塾大学文学部予科に入る。与謝野晶子(よさのあきこ)門下歌人でもあった。1948年(昭和23)より慶大教授。中国文学に独特の鋭い眼識をもっていたが、粋人肌の彼は論文というやぼな形式を好まず、もっぱら随筆を書いた。『随筆北京(ペキン)』(1940)、『柘榴(ざくろ)の庭』(1952)、『芸文おりおり草』(1958)その他多数がある。翻訳書としては『ちゃお・つう・ゆえ』(老舎作『趙子日』)など。

村松 暎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥野信太郎」の解説

奥野信太郎 おくの-しんたろう

1899-1968 昭和時代の中国文学者,随筆家。
明治32年11月11日生まれ。戦前2度中国にわたり,昭和23年慶大教授。おおくの軽妙な随筆をのこし,ラジオ,テレビでも活躍。日本中国学会理事,三田文学会会長などをつとめた。昭和43年1月15日死去。68歳。東京出身。慶大卒。著作に「随筆北京」「中国文学十二話」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「奥野信太郎」の解説

奥野 信太郎 (おくの しんたろう)

生年月日:1899年11月11日
昭和時代の中国文学者;随筆家。慶応義塾大学教授
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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