奥間村(読み)うくまむら

日本歴史地名大系 「奥間村」の解説

奥間村
うくまむら

[現在地名]国頭奥間おくま鏡地かがんじ桃原とうばる半地はんじ

比地ふいじ村の北に位置し、西に東シナ海に突き出した赤丸あかまる(正保国絵図に「赤丸崎」と記され、ヒョーヌサチともいう)がある。与那覇よなは(五〇三メートル)北西麓を水源とする奥間おくま川が村内を流れ、現在も西方に広がる奥間うくまターブックヮはかつての美田地帯である。「おもろさうし」巻一三の一七六に「一 やかひもりおわる(屋嘉比森におわす)/おやのろはたかへて(親ノロを拝して)/あんまふて このとわたしよわれ(我を守ってこの海を渡したまえ)/又 あかまるにおわる(赤丸におわす)/てくのきみたかへて(てくの君〔神女〕を拝して)」とある。「あかまる」は赤丸岬のことで、航海の時の目標になる岬であった。屋嘉比やはび森があると思われる屋嘉比やはび(現大宜味村)は、赤丸岬の南方約八キロの所にある。「おもろさうし」巻一三の一八二には「一 くにかさに おわる(国笠におられる)/おやのろはたかへて(親ノロを崇べて)/しまうちしちへ(島打ちして)/あちおそいに みおやせ(按司襲いに奉れ)/又 やかひもりおわる(屋嘉比森にいます)/かねまるはたかへて(金丸を崇べて)/又 あかまるにおわる(赤丸にいます)/てくのきみたかへて(てくの君を崇べて)/又 あすもりにおわる(安須森におわす)/ましらては たかへて(マシラテ〔神女〕を崇べて)/又 おくもりにおわる(奥森におわす)/たまのきやく たかへて(玉のキャク〔神名〕を崇べて)」とあり、前述の赤丸・屋嘉比に加えて辺土の安須森へどのあすむいおくの奥森の地名がみえる。


奥間村
うくまむら

[現在地名]中城奥間おくま北上原きたうえばる南上原みなみうえばるはま

安里あさとう村の南にあり、東は中城なかぐすく湾に面する。絵図郷村帳に「おくま村」とある。琉球国高究帳には奥間村とみえ、高頭一二〇石余、うち田九六石余・畠二三石余。一八世紀末の作製とみられる間切集成図によれば当村は東流する川上流の二本の支流に北・南を挟まれ、北側の川沿いは奥間後川原、南側の川沿いは奥間前川原とある。崇禎年間(一六二八―四四)に南復圭奥間親雲上快玄(映玄)が寿帯香(線香)を製造した功績により、奥間村を名島として拝領している(「琉球国由来記」、「球陽」尚賢王条附)


奥間村
おくまむら

近世にあった村。古見こみ間切瀬名せな方のうち。「大島私考」に瀬名方六ヵ村のうちとして「奥間村」とみえ、高一三五石余とあるが、「今人家なし」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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