日本歴史地名大系 「妙龍寺」の解説 妙龍寺みようりゆうじ 北海道:後志支庁小樽市富岡町妙龍寺[現在地名]小樽市富岡一丁目商大(しようだい)通にある。日蓮宗。大法山と号する。本尊は十界大曼陀羅。一八五八年(安政五年)幕臣能勢三郎の家臣亀山八右衛門がヲコバチ川河畔を開墾、妙見大士を持仏として信仰、のち一宇を建てたという。六三年(文久三年)清水茂助夫婦が留守に入った。明治四年(一八七一)金龍(きんりゆう)寺(現石狩市)住職の外山貞妙が小樽市街堺(さかい)町に堂宇を建立、題目堂と称した。同六年松前法華寺の西岡竜学が留守居となり、同一〇年頃に金龍寺の青野省也が兼務、同一二年には白取淳孝が住職代理を勤めた。 妙龍寺みようりゆうじ 青森県:五所川原市飯詰村妙龍寺[現在地名]五所川原市飯詰 福泉飯詰(いいづめ)集落の東南飯詰高楯(いいづめたかだて)城跡にある。高楯山と号し、日蓮宗、本尊十界曼荼羅。この地にはもと正行(しようぎよう)庵があり、飯詰高楯城主朝日左衛門尉行安が七面大明神を勧請したことに始まるとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by