妻女山(読み)さいじょさん

改訂新版 世界大百科事典 「妻女山」の意味・わかりやすい解説

妻女山 (さいじょさん)

長野市松代町清野にある山。西条山とも書く。清野の西部鞍骨城より続く山系突端に位置し,標高546m。北は海津城を望み,西は近くを流れる千曲川の彼方川中島を望む。《甲陽軍鑑》には西条山と記されており,《謙信公御代御書集》にも上杉政虎(謙信)は1561年(永禄4)8月24日,西条山に登り海津城攻略の評定をしたとある。武田信玄は8月29日広瀬の渡をわたって海津城に入るが,西条山攻略のため9月10日未明2万の軍を二手に分けて,1万2000を西条山に向け,残り8000を信玄みずから率いて川中島に渡り上杉軍を待った。謙信も夜間すでに雨ノ宮から川中島に渡って布陣しており,夜明けとともに武田軍を攻撃した。世にいう川中島の戦である。この妻女山には二つの郭からなる簡単な構えがみえるが,さして要害とはいえず,万余の人馬が駐留するにも狭すぎる。周囲の山間に隠された補強基地を備えていたものとみられる。
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百科事典マイペディア 「妻女山」の意味・わかりやすい解説

妻女山【さいじょさん】

長野市松代(まつしろ)町清野(きよの)の西部にある山。鞍骨(くらぼね)城から続く山系の突端に位置し,北には海津(かいづ)城,西には千曲(ちくま)川の彼方に川中島(かわなかじま)が望める。標高546m。西条山とも記される。永禄4年(1561年)8月,上杉政虎(謙信)は西条山に登って武田信玄の拠る海津城攻略の評定をしている。9月信玄は8000の軍勢を率いて川中島に渡り,1万2000の軍勢を西条山へ向かわせたが,謙信は千曲川を渡り川中島の武田軍を攻撃した。妻女山には二つの郭からなる簡単な構えがみえる。→川中島の戦

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