日本歴史地名大系 「妻鹿野村」の解説 妻鹿野村めがのむら 鳥取県:八頭郡八東町妻鹿野村[現在地名]八東町妻鹿野横地(よこじ)村の東、細見(ほそみ)川沿いに位置する山村。上流に向かって枝郷の柞原(たらはら)・滝谷(たきだに)がある。滝谷集落を過ぎ、細見川の谷を詰めると扇(おうぎ)ノ山(一三〇九・九メートル)に至り、この山を境に東は但馬国となる。元禄一四年(一七〇一)の変地其外相改目録(県立博物館蔵)に、正保郷帳・正保国絵図には免鹿野村と収載したが、元禄郷帳・元禄国絵図作成に際して妻鹿野村に改めたとある。また柞原村は正保(一六四四―四八)以前から内村として成立していたが、正保郷帳には載せず、元禄国絵図には収載したとある。拝領高は九五石余。本免五ツ三分。土地柄から林業・木地職に従事する者が多く、滋賀県永源寺(えいげんじ)町筒井(つつい)神社蔵の氏子狩帳によると、寛文五年(一六六五)には一二人、同一〇年には一七人の同社氏子がおり、以降天保四年(一八三三)までその存在が確認できる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by