宇利城跡(読み)うりじようあと

日本歴史地名大系 「宇利城跡」の解説

宇利城跡
うりじようあと

[現在地名]新城市中宇利 仁田

中宇利なかうり市場いちばの北方約七〇〇メートル、標高一六〇メートルの山にある。中世の典型的な山城である。熊谷備中守直利または兵庫頭忠重の居城であった。城跡は山頂を削平して土塁を巡らした本丸・二の丸俗称姫御殿が残り、北に納所平があって空堀尾根を切り、他の三方は急傾斜で、井戸曲輪・御馬屋平曲輪などを設け、南の山麓に大手を設ける。現在本丸跡に石碑と、大手付近に松平右京進の墓がある。なお南一・四キロ、通称ジゲンジ(慈眼寺)とよぶ丘の上に居館跡があり、馬場ばば御屋敷跡おやしきあとなどの地名を残す。

城主の熊谷氏は今川氏に属し、享禄二年(一五二九)松平清康が吉田よしだ(現豊橋市)田原たはら(現渥美郡田原町)を攻略して東三河を勢力下に置いた時も松平氏に従わなかったために、同年一一月、清康は宇利城を攻撃した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android