日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇宿彦右衛門」の意味・わかりやすい解説
宇宿彦右衛門
うすきひこえもん
(1820―1863)
江戸後期の技術者。薩摩藩(さつまはん)士。名は行誼(ゆきよし)。伊地知(いじち)季幹の六男として鹿児島に生まれ、宇宿氏を継いだ。江夏十郎(こうかじゅうろう)、市来四郎(いちきしろう)(1829―1903)、中原猶介(なおすけ)(1832―1868)らとともに、島津斉彬(なりあきら)の命を受け、反射炉築造や蒸気船の製造に従事し、また写真術、電信などの実験を行ったほか、薩英戦争(さつえいせんそう)(1863)では日本最初の電気で爆発させる水雷(すいらい)を敷設するなど、斉彬の集成館事業を推進させた技術者であった。長崎海軍伝習所に参加し蒸気機関の伝習を受け、1860年(万延1)以降は主として海事に従い、船奉行(ぶぎょう)添一代新番となった。文久(ぶんきゅう)3年12月24日、幕府から借用の長崎丸で馬関(ばかん)(関門)海峡を通過中、長州藩の砲撃を受け没した。
[菊池俊彦]