宇波西神社(読み)うわせじんじや

日本歴史地名大系 「宇波西神社」の解説

宇波西神社
うわせじんじや

[現在地名]三方町気山

寺谷てらだに鎮座祭神草葺不合うがやふきあえず(三方郡誌)。旧県社。「延喜式」神名帳に三方みかた郡「宇波西ウハニシ神社名神大、月次新嘗」とあり、北陸道七国きっての名社とされる。承暦四年(一〇八〇)六月一〇日および康和五年(一一〇三)六月一〇日の神祇官奏(朝野群載)に神名がみえる。中世近世には上瀬うわせ(於瀬宮)・上瀬大明神と称した(文和元年八月一日「須磨久盛・孫二郎連署請文」社蔵文書など)。文永二年(一二六五)若狭国惣田数帳写に「於瀬宮四丁百八十歩 耳西郷」とみえ、享禄五年(一五三二)の神名帳写(小野寺文書)は「鎮守大明神十二所」の一として「従二位勲三等於瀬をわせの大明神」をあげる。「若狭郡県志」によれば、文武天皇の代、大宝年中(七〇一―七〇四)に日向国から勧請されたとも、大同元年(八〇六)の勧請ともいわれ、元亀年中(一五七〇―七三)兵火で社宇は灰燼に帰し、のち今の社殿を建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇波西神社の言及

【気山津】より

…1065年(治暦1)9月,越中国の調物運漕に際し,路次の国々の津泊などで〈勝載料〉を割き取ることを禁じた太政官符(写)に,近江の塩津・大浦・木津,越前の敦賀津とともにこの津が見え,当時北陸方面から近江を経て京都に至るための一要津であったことが知られる(壬生家文書)。この地に鎮座する式内社宇波西(うわせ)神社が,月次・新嘗の奉幣にあずかる北陸道唯一の社格を有したのも,気山津の重要性によると思われる。南北朝期ごろ以後は,小浜の繁栄とともにしだいに衰微したらしい。…

※「宇波西神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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