守住勇魚(読み)モリズミ イサナ

20世紀日本人名事典 「守住勇魚」の解説

守住 勇魚
モリズミ イサナ

明治〜昭和期の洋画家



生年
嘉永7年11月8日(1854年)

没年
昭和2(1927)年3月4日

出生地
阿波国(徳島県)

学歴〔年〕
工部美術学校〔明治11年〕中退

経歴
徳島藩の御画師守住貫魚次男として生まれ、幼時から父に住吉派の画を学ぶ。明治4年頃徳島英学校に学んだのち上京、8年国沢新九郎の画塾彰技堂に入門し洋画転向。9年工部美術学校に入り、フォンタネージ師事、11年後任教師を不満として浅井忠らと連袂退学。12年大阪専門学校に勤め、29年助教授で退官した。この間、25年小山三造らと京都で油絵展を開催、26年京都美術協会に入会する。また28年〜大正6年同志社画学科で教えた他、大学予科、京都高等工芸学にも出講した。門下に板野克次らがいる。一方、川島織物に関係し、錦綴の下絵を多く手がけ、「富士巻狩図」「蒙古襲来図」などがある。著書に「大成普通画学本」(10冊、明治15 16年)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守住勇魚」の解説

守住勇魚 もりずみ-いさな

1854-1927 明治-大正時代の洋画家。
嘉永7年11月8日生まれ。父の守住貫魚(つらな)に住吉派の画をまなぶ。明治8年上京し,翌年工部美術学校にはいり,フォンタネージに師事。11年退学,十一字会を結成。のち京都にすみ三高,同志社,京都高等工芸などで指導する。また綴錦(つづれにしき)の下絵も手がけた。昭和2年3月4日死去。74歳。阿波(あわ)(徳島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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