守分十(読み)モリワケ ヒサシ

20世紀日本人名事典 「守分十」の解説

守分 十
モリワケ ヒサシ

大正・昭和期の銀行家 中国銀行頭取。



生年
明治23(1890)年5月10日

没年
昭和52(1977)年1月22日

出生地
岡山県浅口郡乙島村(現・倉敷市玉島)

別名
号=寿庵

学歴〔年〕
京都帝大法科大学〔大正4年〕卒

主な受賞名〔年〕
山陽新聞賞〔昭和40年〕,三木記念賞〔昭和47年〕,岡山市名誉市民,倉敷市名誉市民

経歴
守分栄吉の長男として生まれる。大正5年北海道拓殖銀行に入り、11年第一合同銀行に転じ倉敷支店長代理。12年高戸郁三専務と共に山陽商業銀行に出向し経営再建に成功、15年の吸収合併へと繫げた。昭和5年第一合同銀行が山陽銀行と合併、中国銀行に改称され高松支店長に就任、香川銀行を吸収合併する準備に尽力し、6年これを合併。10年本店勤務となり、業務課長、取締役、常務、19年専務を経て、21年3代目頭取に就任。戦後の混乱期を、日銀依存体質からの脱却を図り自主健全経営を確立同行のその後の発展の礎を築くなど、52年死去するまでの32年間頭取の地位にあり、全国地銀中でも有数の財務内容を誇る銀行に育成した。また銀行経営を通じ地元経済・地場産業の発展に貢献。岡山県経団連会長、岡山県銀行協会会長などを歴任傍ら、岡山土地倉庫、岡山国際ホテル、山陽放送などの役員を兼務した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守分十」の解説

守分十 もりわけ-ひさし

1890-1977 大正-昭和時代の銀行家。
明治23年5月10日生まれ。大正5年北海道拓殖銀行にはいり,11年第一合同銀行(中国銀行の前身)にうつり,昭和21年中国銀行頭取となる。銀行経営を通じて地元経済の発展をはかり,岡山県経団連会長,岡山県銀行協会長などを歴任した。昭和52年1月22日死去。86歳。岡山県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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