安北都護府(読み)あんほくとごふ(その他表記)An-bei du-hu-fu; An-pei tu-hu-fu

精選版 日本国語大辞典 「安北都護府」の意味・読み・例文・類語

あんほく‐とごふ【安北都護府】

  1. 中国唐の六都護府一つ。おもに外モンゴル地方の遊牧諸部族の鎮撫(ちんぶ)に当たった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安北都護府」の意味・わかりやすい解説

安北都護府
あんぼくとごふ
An-bei du-hu-fu; An-pei tu-hu-fu

中国,唐代の6都護府の一つ。貞観 21 (647) 年北モンゴル諸部族支配のためにおかれた燕然都護府がその始りで,のちこれが瀚海 (かんかい) 都護府となり,総章2 (669) 年に安北都護府と改名した。そののち突厥に圧迫されて漠南に移動したため,漠南にあった単于都護府が安北都護府となり (692) ,さらに開元2 (714) 年には受降城 (内モンゴル自治区五原県) に移された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安北都護府」の意味・わかりやすい解説

安北都護府
あんほくとごふ

中国、唐の辺境統治機関、六都護府の一つ。北モンゴル高原の突厥(とっけつ)諸族、鉄勒(てつろく)諸部の統轄を主要任務とした。その呼称は、瀚海(かんかい)都護府を安北都護府と改称した669年に至って出現するが、起源的には瀚海都護府の前身、燕然(えんぜん)都護府(647年設置)にさかのぼる。679年以後の突厥勢力の強大化につれてこの都護府は漸次南に後退し消滅したが、唐の北アジア経営のもっとも発展した形態を示し、歴史的意義は大きい。

[白須浄眞]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「安北都護府」の解説

安北都護府(あんぽくとごふ)

唐代の6都護府の一つ。東突厥(ひがしとっけつ)故地のうち外モンゴルを統治。初め燕然(647年),瀚海(かんかい)(663年)と呼ばれ,669年安北と改称。東突厥復興とともに玄宗の頃に陰山方面へ移った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「安北都護府」の解説

安北都護府
あんほくとごふ

唐初期の辺境統治機関で,6都護府の1つ
この府は外モンゴルの都斤山に置かれ,ウイグル・鉄勒 (てつろく) の諸部族を統治したが,玄宗のとき,内モンゴルの陰山の麓に移された。

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