安広伴一郎(読み)ヤスヒロ トモイチロウ

20世紀日本人名事典 「安広伴一郎」の解説

安広 伴一郎
ヤスヒロ トモイチロウ

明治・大正期の官僚 満鉄総裁;枢密顧問官;法制局長官;貴院議員(勅選)。



生年
安政6年10月13日(1859年)

没年
昭和26(1951)年5月27日

出身地
福岡県

学歴〔年〕
香港中央書院〔明治13年〕卒,ケンブリッジ大学〔明治20年〕卒

経歴
明治8年上京、のち香港・北京に渡り英学、中国語を学ぶ。また英国ケンブリッジ大学に留学し法学を学ぶ。内閣書記官法制局内務省各参事、司法・内務各大臣秘書官、内務省社事局局長を歴任し、内閣書記官長となった。その後、第2次桂内閣の法制局長官兼内閣恩給局長、さらに枢密顧問官、大正13年〜昭和2年満鉄総裁を務めた。この間、明治33年〜大正5年勅選貴院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「安広伴一郎」の解説

安広伴一郎

没年:昭和26.5.27(1951)
生年:安政6.10.13(1859.11.7)
明治大正期の官僚。父は福岡藩士安広一郎。号は竜峰。少年時代,儒者村上仏山の学塾水哉園に学び先輩末松謙澄と学才を並び称された。明治8(1875)年上京し末松の援助を受け,香港に渡り英学を,さらに北京で中国語を学ぶ。帰国後,中山寛六郎の援助を得て英国ケンブリッジ大学に留学,法学士の学位を取得して帰国した。26年山県有朋司法大臣の秘書官となり,中山や都筑馨六らと共に代表的な山県系官僚と目されるに至る。内務,文部,逓信各省の局長を歴任し,第2次桂太郎内閣の法制局長官を務めた。昭和2(1927)年満鉄総裁を最後に官途を退いた。<参考文献>山本亀城(実彦)『政界寧馨児

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安広伴一郎」の解説

安広伴一郎 やすひろ-ともいちろう

1859-1951 明治-大正時代の官僚。
安政6年10月13日生まれ。安広一郎の長男。明治26年山県有朋(やまがた-ありとも)法相の秘書官。内務・文部・逓信各省の局長をへて内閣書記官長,第2次桂内閣の法制局長官となる。貴族院議員,枢密顧問官。大正13年満鉄総裁となった。昭和26年5月27日死去。91歳。福岡県出身。香港中央書院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「安広伴一郎」の解説

安広 伴一郎 (やすひろ ともいちろう)

生年月日:1859年10月13日
明治時代;大正時代の官僚
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android