安来宮内村(読み)やすぎみやうちむら

日本歴史地名大系 「安来宮内村」の解説

安来宮内村
やすぎみやうちむら

[現在地名]安来市宮内町みやうちちよう

安来町の南、安来村の東、伯太はくた川右岸に位置する。中世安来庄に属したとみられ、江戸時代初期に安来村から分離独立した村と推定される。宮内名称当地に鎮座するただす神社に関係するか。正保国絵図に村名がみえ、寛文一二年(一六七二)検地帳がある。元禄十年出雲国郷帳によると高二八〇石余、うち永荒が八五石余あり残高一九五石余。寛文四年には本田高二四五石余・新田高七石余。「雲陽大数録」には宮内村とあり、高二〇〇石。「郡村誌」によると田二八町二反余・畑二町四反余・宅地一町余・山林八町一反余、戸数二一・人数一〇〇、牛七。民業は農五一(二一の誤りか)。「雲陽誌」は糺神社の由緒について「糺大明神 大己貴命・玉依姫をまつる、元和年中堀尾家の陪臣堀尾民部一信建立の社なり、風土記に調屋社同社とあるは加茂糺両社なりと神職の談侍とも未分明、安来郡家より三町坤方斯社あり、八町去て鴨宮あり、此間古今てうや縄手といふ、世俗丈屋と書は後人の誤ならむ、両社の祭礼五月五日・九月九日なり、七月十四日より十五日まで安来市店白布の旗を立、男女老少鴨糺の両社へ拝参する神事あり、是は猪麻呂か古事なりといひつたふ」と述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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