安東忠家(読み)あんどう・ただいえ

朝日日本歴史人物事典 「安東忠家」の解説

安東忠家

没年承久3.6.14(1221.7.5)
生年:生年不詳
駿河国の御家人で,北条義時の被官。建保1(1213)年2月の泉親衡事件では,奉行人として謀反人追捕の命令諸国守護人に伝達した。事件に加担した和田胤長の鎌倉の屋敷地は北条義時に与えられ,義時はこれを忠家と金窪行親のふたりに分け与えた。同年5月の和田合戦では,首実検臨席し,合戦の記録を整理した。承久1(1219)年には,源実朝を暗殺した公暁の首実検に臨席。その後,北条義時の勘気をこうむって駿河国に籠居した。承久の乱(1221)では,東海道を進む北条泰時の軍勢に加わり,宇治川合戦で討死した。『阿蘇文書』には,北条義時の袖判がある安東忠家奉書が2通ある。

(永井晋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安東忠家」の解説

安東忠家 あんどう-ただいえ

?-1221 鎌倉時代の武士
駿河(するが)(静岡県)の御家人。北条義時につかえ,和田氏の乱の誘因となった泉親衡(ちかひら)の乱では,奉行人として謀反人追捕(ついぶ)の命令を各地の守護に伝達。また源実朝を殺した公暁(くぎょう)の首実検にたちあう。承久(じょうきゅう)3年6月14日宇治川の戦い戦死

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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