朝日日本歴史人物事典 「安東忠家」の解説
安東忠家
生年:生年不詳
駿河国の御家人で,北条義時の被官。建保1(1213)年2月の泉親衡事件では,奉行人として謀反人追捕の命令を諸国の守護人に伝達した。事件に加担した和田胤長の鎌倉の屋敷地は北条義時に与えられ,義時はこれを忠家と金窪行親のふたりに分け与えた。同年5月の和田合戦では,首実検に臨席し,合戦の記録を整理した。承久1(1219)年には,源実朝を暗殺した公暁の首実検に臨席。その後,北条義時の勘気をこうむって駿河国に籠居した。承久の乱(1221)では,東海道を進む北条泰時の軍勢に加わり,宇治川合戦で討死した。『阿蘇文書』には,北条義時の袖判がある安東忠家奉書が2通ある。
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報