安永村(読み)やすながむら

日本歴史地名大系 「安永村」の解説

安永村
やすながむら

[現在地名]北野町中川なかがわ

筑後川支流の小石原こいしわら川下流右岸域に位置し、南は八重亀やえがめ村に接する。筑後川沿いに飛地がある。古く村の南縁を筑後川が流れていた。貞和六年(一三五〇)肥前の後藤光明は足利直冬より由緒の地「竹野新庄河北郷内安永名」(諸岡民部五郎跡)を恩賞地の代りとして宛行われている(同年九月二〇日「足利直冬宛行状」後藤文書/南北朝遺文(九州編)三)


安永村
やすながむら

[現在地名]桑名市安永

現桑名市の南部にあり、和泉いずみ村の北に位置する。西は町屋まちや川に臨み、町屋橋が架かる。村の西部を南北に東海道が通る。地名の明らかな初見は、文永八年(一二七一)五月七日の益田ますだ庄と安永野との境界について道智(二階堂行氏)置文案(薩摩二階堂文書)に「きたをかきる神广さかい、南をかきるあさけ(朝明)の郡の堺、東ハ今切のうちの江の西のはたをかきりて、安永に領知すへし(中略)嘉禄検注以後の新田畠、少々在之歟、同安永の内として領知すへし」とある。


安永村
やすながむら

[現在地名]益城町安永

西は馬水まみず村、東は宮園みやぞの村と接する。福田ふくでん寺の永仁五年(一二九七)銘の五輪塔地輪に「当国六ケ庄上安永」とあり、正和五年(一三一六)五月一二日の関東下知状案(詫摩文書)によれば「砥河・木崎・上安永・鯰郷」は六箇ろつか庄の新補地頭の支配下におかれた地である。建武五年(一三三八)三月七日に、上築地かみついじ(現玉名市)などとともに兵粮料所として詫磨宗直一族に預け置かれている(「少弐頼尚知行預ケ状案」同文書)。また応永六年(一三九九)三月五日の戸賀崎氏範施行状(同文書)で鳥羽左京・宮河中務丞に「六ケ庄内志那子・桑原・安永三ケ村」ほかを詫磨方代官に打渡すよう命じている。


安永村
やすながむら

[現在地名]大任町大行事だいぎようじ

北流する彦山川西岸に位置し、南は秋永あきなが村、北は上今任かみいまとう村。元和八年人畜改帳に村名がみえ、高二七一石余、家数二一・人数五二(うち百姓五・名子三)、牛三・馬二。郷村高帳では高三七三石余、うち新田高一〇〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android