新撰 芸能人物事典 明治~平成 「安田伸」の解説
安田 伸
ヤスダ シン
- 職業
- サックス奏者,俳優
- 本名
- 安田 秀峰(ヤスダ ヒデミ)
- グループ名
- グループ名=クレージー・キャッツ
- 生年月日
- 昭和7年 9月19日
- 出生地
- 東京都 大田区
- 学歴
- 東京芸術大学音楽学部管楽科〔昭和28年〕卒
- 経歴
- 5人弟妹(3男2女)の一番上の長男。敗戦直後の厚木中学2年の時に、学校にあった使われていない吹奏楽器をみつけ、仲間たちと吹奏楽部を設立。昭和26年東京芸術大学音楽学部管楽器科に進むが、個人レッスン料を稼ぐために進駐軍のクラブでサックスやクラリネットを吹き始め、そのうちに自らの道に疑問を持つようになり、短大創設に伴い別科が出来るとそちらに移り、大学を2年で卒業。石橋エータローのリーダーバンドや、自身のバンドであるフォー・デバーズなどで活動した後、32年石橋の紹介で、ハナ肇率いるクレージー・キャッツに参加。メンバーはリーダーでドラムスのハナ、ボーカルとギターの植木等、トロンボーンの谷啓、ベースの犬塚弘、ピアノの石橋エータローで、石橋の入院により同じくピアノの桜井センリが加入した。自身はテナーサックスを担当。ジャズメン仲間だった渡辺晋が設立したマネジメント会社・渡辺プロダクションに入り、娯楽の主役がテレビに移行する中でジャズメンからテレビタレントへと転身。34年テレビ初レギュラーとなったフジテレビのコント番組「おとなの漫画」でコミックバンドとして注目を集め、同番組で放送作家の青島幸男と出会う。36年からは日本テレビの歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、音楽とギャグが同居したナンセンスでスピード感のある笑いは、それまでの落語や漫才、藤山寛美に代表される人情喜劇とは対照的で、日本人の笑いに革命をもたらし、植木の“お呼びでない、こりゃまた失礼致しました”“ハイそれまでョ”、谷の“ガチョーン”“ビローン”といったギャグは一世を風靡した。クレージーの中では“音楽係”を自認し、タレント活動は苦手としたが、単独では映画「吹けば飛ぶよな男だが」「青い山脈」や、舞台「屋根の上のバイオリン弾き」などに出演。「週刊クレージー」のテーマソングで作曲家としてデビューした後は、社歌や団体歌などの作曲も手がけた。平成6年5月肝臓がんを宣告され闘病生活を送るが、8月退院。8年7月舞台「屋根の上のバイオリン弾き」に出演したのが最後の舞台となった。この間、昭和41年健康体操家の竹腰美代子と結婚、話題を呼んだ。著書に「ボクはガンに勝った」がある。
- 没年月日
- 平成8年 11月5日 (1996年)
- 家族
- 妻=竹腰 美代子(健康体操家)
- 伝記
- テレビの黄金時代クレージーキャッツ 55〜90 新装版 小林 信彦 著(発行元 文芸春秋アドリブ ’05’93発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報