日本歴史地名大系 「安長村」の解説 安長村やすながむら 鳥取県:鳥取市旧高草郡地区安長村[現在地名]鳥取市安長・商栄町(しようえいちよう)・五反田町(ごたんだちよう)秋里(あきさと)村の南、千代川西岸に位置する。伯耆街道が東西に通り、千代川の同街道安長渡近くに集落がある。街道北側に茶屋があった(因幡志)。寛文大図(倉田八幡宮蔵)によると、集落南側に東西にわたって土手が築かれ、西端の嵐(あらし)ヶ鼻(はな)で南西に屈曲して徳吉(とくよし)村に至る。土手の南側を流れる「古川」は野坂(のさか)川の旧河道で、徳尾(とくのお)村から東進して古海(ふるみ)村で千代川に合流する江戸時代の流路は、亀井茲矩が高草郡の領主のとき切開かれたとの注記がある。新合流点の北側から旧合流点の南側までと、同じく北側から秋里村に至る千代川西岸にも土手が描かれ、この高堤も亀井氏が築いたという(因幡民談記)。古川の土手の構築は宮部氏時代に行われたと考えられ、当村集落南側の部分の土手は良好な状態で現存する。慶長一〇年(一六〇五)の気多郡高草郡郷帳に安永(やすなが)とみえ、徳尾・徳吉と一括されて高一千八七四石余、田一四〇町八反余・圃三三町二反余、物成一千四四一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by