デジタル大辞泉
「宜秋門院丹後」の意味・読み・例文・類語
ぎしゅうもんいん‐の‐たんご〔ギシウモンヰン‐〕【宜秋門院丹後】
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ぎしゅうもんいん‐たんごギシウモンヰン‥【宜秋門院丹後】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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宜秋門院丹後
生年:生没年不詳
平安・鎌倉時代の歌人。摂政家丹後,丹州,丹後少将,丹後禅尼とも。源頼行の娘。源頼政の姪,二条院讃岐の従姉妹。九条家の女房として仕え,歌会などにも参加したが,のちに宜秋門院(九条兼実の娘で後鳥羽天皇の妃の任子)に仕えた。九条兼実の妻が葬送された建仁1(1201)年12月14日の夜,出家したという(『明月記』)。出家後は仏道に専心した。安元1(1175)年10月『右大臣家歌合』を初出として,『花月百首』『正治二年院初度百首』『千五百番歌合』,承元1(1207)年の『鴨御祖社歌合』『賀茂別雷社歌合』に至るまで多くの歌会,歌合に参加した。清冽で,透明感のある作風。<参考文献>馬場暁子「宜秋門院丹後」(『学苑』1950年7月号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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宜秋門院丹後 ぎしゅうもんいんの-たんご
?-? 平安後期-鎌倉時代の歌人。
源頼政(よりまさ)の姪(めい)。後鳥羽(ごとば)天皇の中宮(ちゅうぐう)宜秋門院任子に女房としてつかえる。安元元年(1175)の「右大臣家歌合(うたあわせ)」をはじめとする歌合わせに参加。「千載和歌集」に3首,「新古今和歌集」に9首はいっている。作品にちなみ異浦(ことうらの)丹後ともよばれた。
【格言など】忘れじな難波の秋の夜半の空こと浦に澄む月は見るとも(「新古今和歌集」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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