平安初期の真言宗の僧。弘法(こうぼう)大師空海十大弟子の一人。「じつえ」ともいう。晩年に河内(かわち)(大阪府)檜尾(ひのお)山法禅寺に隠棲(いんせい)したため、別名を檜尾僧都(そうず)という。空海と同じ讃岐(さぬき)(香川県)の出身で、幼少のころ儒学を学んだが、長じて仏道を志し、806年(大同1)空海の弟子となってからは密教の修行に励む。816年(弘仁7)空海が高野山(こうやさん)を開くにあたって協力し、また827年(天長4)河内檜尾に観心寺を建て密教を広めた。835年(承和2)の大師入定(にゅうじょう)後は日本第二の大阿闍梨(だいあじゃり)となり、翌836年には東寺(とうじ)第2代長者となる。円行(えんぎょう)(799―852)の入唐(にっとう)に際し、書と法衣(ほうえ)を託して空海の師である恵果(けいか)の墓前に供えて孫弟子の礼をとった。846年には高野山で『大日経疏(しょ)』を講義し、これ以降に高野山における講義の伝統が始まった。著作は多数ある。
[平井宥慶 2017年8月21日]
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