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観心寺 かんしんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

観心寺
かんしんじ

大阪府河内長野市にある真言宗の寺。山号は檜尾 (ひのお) 山。空海の弟子実慧が天長年間 (824~833) に創建したと伝えられるが,現在の金堂 (本堂) は天授4 (1378) 年頃の再建で,和様を基礎とし禅宗様と大仏様の両方を採入れた折衷様で,国宝後醍醐天皇後村上天皇のあつい帰依を受けて,一時行宮となったこともある。本尊の国宝『如意輪観音坐像』は平安時代前期のもので,極彩色を施した木像

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デジタル大辞泉の解説

かんしん‐じ〔クワンシン‐〕【観心寺】

大阪府河内長野市寺本町にある高野山真言宗の寺。山号は檜尾(ひのお)山。大宝年間(701~704)役小角(えんのおづの)の創建と伝える。はじめ雲心寺と称したが、弘仁年間(810~824)空海が再興し、観心寺と改める。貞観11年(869)清和天皇勅願の定額寺。のちに後醍醐(ごだいご)天皇尊信を得たため、南朝文書を多数所蔵する。楠木氏の菩提寺。金堂・如意輪観音像・観心寺縁起資材帳は国宝。

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百科事典マイペディアの解説

観心寺【かんしんじ】

大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺。境内は国指定史跡。空海の弟子実恵とその弟子真紹が826年―827年創建。国宝の金堂は室町初期に再建されたもので,和様を主体として随所に唐様(からよう),天竺(てんじく)様をとり入れた折衷様建築の代表的遺構。
→関連項目河内長野[市]金剛山(日本)白玉粉

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デジタル大辞泉プラスの解説

観心寺

大阪府河内長野市にある寺院。創建は701年。高野山真言宗遺跡本山、本尊は如意輪観音菩薩。国宝の金堂ほか多くの文化財を保有。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんしんじ【観心寺】

大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺。山号は檜尾山。寺伝では大宝年中(701‐704)に役行者が草創し,初め雲心寺と称したと伝える。808年(大同3)空海がこの地を巡錫したとき境域に北斗七星を勧請し,815年(弘仁6)七星如意輪観音(しちせいによいりんかんのん)を刻して本尊とし観心寺と改称したと伝承する。《権少僧都真紹付属状》(868)によれば827年(天長4)空海の孫弟子真紹が山野を切り開いて堂舎を建立したと記録しており,《観心寺勘録縁起資財帳》(883)には真紹の師実恵(じちえ)の建立として観心寺の創建に実恵の影響の大きかったことを物語っている。

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大辞林 第三版の解説

かんしんじ【観心寺】

大阪府河内長野市寺元にある真言宗の寺。山号は檜尾山。役小角えんのおづの創建と伝える。827年実恵・真紹が寺塔を建立。南朝の崇敬あつく、楠木正成の墓がある。金堂は南北朝時代の創建で、和様に大仏様・禅宗様を応用した折衷様式(観心寺様式)として有名。本尊如意輪観音像とともに国宝。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

観心寺
かんしんじ

大阪府河内長野(かわちながの)市寺元(てらもと)にあり、高野山真言宗に属する寺。檜尾山(ひのおざん)と号する。大宝(たいほう)年間(701~704)役行者(えんのぎょうじゃ)が創建し、初め雲心(うんしん)寺と号したが、827年(天長4)空海の弟子実慧(じちえ)が真紹(しんじょう)とともに寺塔を建立して観心寺と改めた。これより実慧を開山とし、のち定額寺(じょうがくじ)となって発展した。南北朝時代には南朝との関係が深く、建武(けんむ)新政(1334)のとき楠木正成(くすのきまさしげ)が奉行(ぶぎょう)となって金堂の外陣(げじん)を再建し、別に三層塔を建立しようとしたが、工事なかばで湊川(みなとがわ)に戦死し、現在、未完の楠公建掛塔(なんこうたてかけのとう)(国の重要文化財)が残っている。ついで後村上(ごむらかみ)天皇の行宮(あんぐう)となったこともあり、同天皇の御陵がある。その後、畠山(はたけやま)氏が篤信(とくしん)して護持に努めたが、織田信長が寺領を減じてやや衰微した。しかし豊臣(とよとみ)秀吉が寺領を加え、秀頼(ひでより)が寺塔の修理をなして復興し、のち享保(きょうほう)年間(1716~36)にも修理が行われた。天保(てんぽう)年間(1830~44)には有栖川宮(ありすがわのみや)の祈願所となり、徳川氏も寺領を寄進した。このように開創以来いくたびか盛衰はあったが、なお多くの堂塔、彫刻、絵画、工芸品、古文書を残し、密教の霊場として、また南朝の史跡として有名である。
 現在、鎌倉時代の様式を伝える金堂は国宝、室町末期の訶利帝母(かりていも)天堂、桃山時代の書院は国の重要文化財に指定されている。本尊の如意輪観音菩薩坐像(にょいりんかんのんぼさつざぞう)(国宝)は平安初期の作で、彩色六臂(ろっぴ)像の秘仏である。そのほか、霊宝館に金銅の釈迦(しゃか)像、観音像(以上は奈良時代作)や、試作如意輪観音像、四天王像はじめ聖観音(しょうかんのん)、十一面観音、地蔵菩薩(以上は平安前期作)、薬師、釈迦、宝生(ほうしょう)、弥勒(みろく)の諸像(以上は平安後期作)など国の重要文化財の仏像群を収めている。また『観心寺勘録縁起資財帳』(国宝)はじめ、後醍醐(ごだいご)、後村上、長慶(ちょうけい)、後亀山(ごかめやま)の4天皇、楠木正成・正行(まさつら)、北畠親房(きたばたけちかふさ)、畠山・三好(みよし)・松永の諸氏、豊臣秀吉・秀頼などの古文書、遺物など多数を蔵し、古文書は観心寺文書(国の重要文化財)として知られる。なお境内には、実慧の廟(びょう)、本願堂、大楠公(だいなんこう)首塚、七星(しっしょう)塚、大講堂などがある。[勝又俊教]
『『古寺巡礼 西国2 観心寺』(1981・淡交社)』

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世界大百科事典内の観心寺の言及

【朝用分】より

…半済が年貢の半分であったのに対し,3分の1の徴収であった。河内観心寺領同国小高瀬荘は朝用分料所になっていたが,1359年(正平14∥延文4)返付された。その手続は,観心寺の要請,右大将中院通冬の御教書,朝用分給人と思われる某正幸の承認請文を経て,後村上天皇綸旨,一品宮令旨の同日発布によって完了している。…

※「観心寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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