宮島詠士(読み)ミヤジマ エイシ

20世紀日本人名事典 「宮島詠士」の解説

宮島 詠士
ミヤジマ エイシ

明治〜昭和期の教育家,書家 善隣書院創立者。



生年
慶応3年10月20日(1867年)

没年
昭和18(1943)年7月9日

出身地
出羽米沢(山形県)

本名
宮島 吉美

別名
通称=大八

学歴〔年〕
東京外国語学校清語科〔明治18年〕

経歴
父の誠一郎は米沢藩出身の旧幕臣。興亜会支那学校、東京外語に学んだのち、中国に渡る。清朝の連池書院院長で桐城波の大家・張廉卿に入門、7年の研鑚を積んだのち、日清戦争に際して帰国。明治28年東京・麴町に詠帰舎(31年に善隣書院と改称)を開校、民間の中国語教育の中枢となり、昭和18年に死去するまで教鞭を執る。他に東京帝大、東京外語などの講師も務め、その著書「急就篇」は、中国語教育の教科書として、古典となる。書家としても漢魏六朝の奥義を極めたとされ名高い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮島詠士」の解説

宮島詠士 みやじま-えいし

1867-1943 明治-昭和時代前期の書家。
慶応3年10月20日生まれ。宮島誠一郎次男。明治20年清(しん)(中国)にわたり,張廉卿(れんけい)に師事。27年帰国して東京に善隣書院を創立,中国語教育と日中友好につくした。書は師直伝の六朝(りくちょう)風。昭和18年7月9日死去。77歳。出羽(でわ)米沢(山形県)出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。名は吉美。通称は大八。著作に「急就篇」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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