宮本小一(読み)ミヤモト コイチ

20世紀日本人名事典 「宮本小一」の解説

宮本 小一
ミヤモト コイチ

明治・大正期の外交官,政治家 貴院議員(勅選);元老院議官;外務大書記官。



生年
天保7年2月30日(1836年)

没年
大正5(1916)年10月16日

出身地
江戸

別名
幼名=守成,通称=小一郎

主な受賞名〔年〕
勲二等

経歴
旧幕臣。昌平黌に学び詩文に長じた。明治初年外務省に出仕、外国官御用掛、外務権少丞、外務少丞、外務大丞、外務大書記官などを歴任、外交事務や外国貴賓の接待にあたる。16年元老院議官ののち、24年〜大正5年勅選貴院議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「宮本小一」の解説

宮本小一

没年:大正5.10.16(1916)
生年:天保7.2.30(1836.4.15)
明治初期の外交官。名は「こいち」とも読む。静岡県出身。旧名小一郎。神奈川奉行支配組頭を勤めたが,維新後新政府に出仕し外国官御用掛,のちに外務少丞,外務大丞,外務大書記官など要職を歴任した。維新後に来日した外国貴賓の接待に当たり,また樺太境界交渉にも任じた。明治9(1876)年には黒田清隆全権に随行し,前年の江華島事件処理と修好交渉に尽力し,日朝修好条規締結に携わった。また吹田事件(1880)の処理に当たる一方,朝鮮国通商章程取調掛にも任じられた。功労により元老院議官,のちに貴族院勅選議員となる。草創期の外交交渉に奔走した。

(森山茂徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宮本小一」の解説

宮本 小一
ミヤモト コイチ


肩書
貴院議員(勅選),元老院議官

生年月日
天保7年(1836年)

経歴
昌平黌に学び詩文に長じた。明治初年外務省に出仕、元老院議官ののち勅選貴院議員となった。

受賞
正二位勲二等

没年月日
大正5年10月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮本小一」の解説

宮本小一 みやもと-こいち

1836-1916 明治時代官僚
天保(てんぽう)7年2月30日生まれ。もと幕臣で,神奈川奉行支配組頭。維新後外務省につとめ,外務大丞,外務大書記官を歴任。新政府の外交事務,外国賓客の応接にあたった。のち元老院議官,貴族院議員。大正5年10月16日死去。81歳。初名は守成。通称は小一郎。名は「おかず」ともよむ。

宮本小一 みやもと-おかず

みやもと-こいち

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宮本小一」の解説

宮本 小一 (みやもと おかず)

生年月日:1836年2月30日
明治時代;大正時代の外交官。元老院議官;貴族院議員
1916年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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