宮河内村(読み)みやごうちむら

日本歴史地名大系 「宮河内村」の解説

宮河内村
みやごうちむら

[現在地名]土成町宮川内みやがわうち

板野郡の北西端、阿讃あさん山脈南麓の宮川内谷みやごうちだに川上流部を占める。宮川内とも記された。南東高尾たかお村、南は吉田よしだ村・阿波郡土成村、西は阿波郡浦池うらのいけ村、同郡日開谷ひがいだに(現市場町)。北方阿讃国境の鵜峠うのたお(三八五メートル)を越えて讃岐国大内おおうち西山にしやま(現香川県白鳥町)に至る道(宮河内越)がある。当地には土御門上皇にかかわる伝承がある。中世柿原かきはら庄のうちに宮河内郷が成立していた。鎌倉後期のものと思われる年月日未詳の宮河内郷地頭柿原義氏越訴状断簡写(原田家文書)に阿波国「柿原庄内宮河内郷」とみえる。宮河内郷の地頭柿原太郎義氏と隣接する松島西条まつしまさいじよう(現上板町)の地頭佐々木壱岐三郎氏綱との間で宮河内郷内の用水をめぐって行われた相論の内容を伝える。これによると、旧来から宮河内郷で使用されていた用水をめぐって、柿原義氏の祖父義継(法名入意)の時、佐々木氏綱の父道西が濫妨を働いたため相論となり、弘安元年(一二七八)六月に幕府から用水の知行が地頭柿原氏に認められたが、正応六年(一二九三)に道西が「新井」を構えるなどして、先の幕府の下知に背いたために訴訟に及んでいる。

慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に宮河内とみえる。


宮河内村
みやがわうちむら

[現在地名]大分市宮河内

大野川と乙津おとづ川の分岐点東側にある。海部郡に所属。大野川西岸の毛井けい村からは船渡しで渡河する(「府内往来之図」臼杵図書館蔵)。同村から東向して来た日向道(臼杵・府内城路)は、当村で南下して大分郡楠木生くすぎゆう村に向かう日向道と、東方広内ひろうち村に向かう臼杵うすき・府内城路に分岐する。「みやかわち」「みやごうち」「みやがち」などともよばれた(明治八年「豊後国区画村町一覧」など)


宮河内村
みやごうちむら

[現在地名]哲多町宮河内

則安のりやす村の北に位置し、本郷ほんごう川が流れ吹屋ふきや往来が通る。集落は新行しんぎよう小村谷おむらだに柴床しばとこ中山なかやま西屋にしや宮木みやきに散在。寛永備中国絵図に村名がみえ、高三一七石余、山崎家治先知とある。正保郷帳にはなぜかみえない。「寛文朱印留」では松山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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