寄生地主論争(読み)きせいじぬしろんそう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寄生地主論争
きせいじぬしろんそう

封建制から資本制への移行期に形成される地主的土地所有の成立要因とその本質をめぐる論争。第二次世界大戦前の日本農村には寄生地主とよばれる半封建的な大地主が存在していた。寄生地主は自らは生産的機能を営まず、小作人に土地を貸し付け、生産物(主として米)の5割以上に及ぶ小作料を取り立てていた。さらに寄生地主は、貴族院議員に選出されたり、村政を牛耳(ぎゅうじ)るなど地方政治において最大の政治的支配力をもっていた。この寄生地主の存在は、日本農村の民主化にとって最大の障害物であり、これを撤廃することが重要な政治課題であった。それゆえに戦後、1945~46年(昭和20~21)にかけてGHQ(連合国最高司令部)は農地改革を実施し、地主制度の解体を図った。しかしながら農地改革は山林地主を残すなど不徹底なものに終わったため、ふたたび地主制の温存、復活が図られるのではないかとの危惧(きぐ)が生じた。
 これを契機に歴史学者たちは、寄生地主制発生の歴史的基盤・条件の解明に向かった。幕末・維新期に農村経済のブルジョア的発展がみられたにもかかわらず、それは順調に発展せず、なにゆえに地主・小作関係の形成に帰結してしまったのか、この問題が論争の基本的争点であった。論争は西洋経済史家をも巻き込み、1955~57年にピークを迎えた。大塚久雄はイギリスに例をとり、絶対王制成立期には明らかに一定の民富の形成とそのブルジョア的分解が進行し、局地的市場圏が成立するが、絶対王制末期になると、遠隔地取引=共同体間分業に蓄積基盤をもつ前期的商人資本が、局地的市場圏を蚕食し、農民的小ブルジョア経済の発展を阻止し、それによって寄生地主化の道が進むと主張した。これに対して吉岡昭彦、山田舜(あきら)は、イギリス、日本に例をとり、寄生地主制成立の前提にはいかなるブルジョア的発展も存在しないとし、絶対王制成立期には局地的市場圏は成立せず、むしろ遠隔地市場の一形態たる特産物市場圏を形成するにすぎないとした。そしてこの特産物の生産・販売の段階では農業経営も封建的労働過程から脱しておらず、また商品流通も都市特権商人に握られており、農民は絶えず買いたたきにあっていた。それゆえ農民は商品生産を拡大することができず、寄生地主・小作分解が一義的に進行すると主張した。この論争はなんらの理論的決着もみられずに終結したが、幕末農業史の進展に大きな刺激を与えた。[中村政則]
『安孫子麟著『寄生地主制論』(『講座日本史 第九巻』所収・1971・東京大学出版会) ▽中村政則著『近代日本地主制史研究』(1979・東京大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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