富土村(読み)ふとむら

日本歴史地名大系 「富土村」の解説

富土村
ふとむら

[現在地名]日南市富土

宮浦みやのうら村の北に位置し、東は日向灘に面する。本村の南の浦沿いに小目井こめい西方山中椿八重つばきばえ(「つぼばえ」とも)の集落があり、鵜戸うど街道が通る。婦戸などとも書いた(「山方本通」飫肥林業発達史)平地が少なく水利も悪いため干害となることが多く、海運の便はよかったが陸上交通の便は悪かった(日向地誌)。また海辺の村ではあったが、ほとんどが農業に従事し、「日向地誌」では総戸数九四戸のうち漁業を生業とする者は四戸であった。本村と小目井の間、日向灘に突き出た瀬平せびら崎の山上に中世の瀬平城跡がある。天文一〇年(一五四一)一〇月、飫肥おびの島津忠広攻撃を思い立った伊東義祐は瀬平を先陣とするために日夜兼行で普請を行い、番代を定めひとまず帰城したという(「日向記」、「北郷忠相等三代日帳写」都城島津家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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