富士写真フイルム[株] (ふじしゃしんフイルム)
日本の写真フィルムのトップ・メーカーであり,世界市場でもコダックと拮抗している。磁気テープでも大手。本社,東京都港区。前身は大日本セルロイド(株)(現,ダイセル化学工業)である。大日本セルロイドは1920年フィルムベースの研究を開始。一方26年には東洋乾板(1919設立)に投資をし,乳剤の製造研究を推進。28年東京板橋にフィルム試験所をつくり研究を続け,33年に神奈川県南足柄に足柄工場の建設に着手した。34年工場の完成と同時に,大日本セルロイドの写真フィルム部門を継承して富士写真フイルム(株)が設立された。38年写真フィルム用化学原料,光学ガラス,光学機械の生産部門を設立,39年印画紙の自給化を図り,写真フィルム生産の一貫体制を確立した。第2次大戦中は軍需用,報道関係用および中国,東南アジア向けの輸出増大により写真フィルムの生産が増大し,光学機器の生産も軍需により増加した。戦後は45年10月には映画用フィルム,レントゲンフィルムを中心に生産を再開した。カラーフィルムについては戦争中の42年に試作に,46年に商品化に成功している。51年には国産の長編映画用フィルムを発売した。フィルムベースの不燃化も53年の工場建設により確立された。60年録音用磁気テープを発売,62年にはイギリスのランク・ゼロックス社と合弁で富士ゼロックスを設立するなど多角化を進めている。69年には東京西麻布に東京本社ビルを建設した。デジタル化への対応など多角化と国際展開に力を入れている。資本金404億円(2005年9月),売上高2兆5274億円(2005年3月期)。2006年持株会社の富士フイルムホールディングスを設立,富士写真フイルムの事業を継承した富士フイルム(株)を新設した。
執筆者:北井 義久
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「富士写真フイルム」の意味・わかりやすい解説
富士写真フイルム[株]【ふじしゃしんフイルム】
カラーフィルム国内シェア70%のフィルムメーカー。1934年大日本セルロイド(現ダイセル化学工業)から独立。感光材料,カメラ,光学機器,磁気テープ,液晶材料などを多角生産。近年急速に進展しているカメラのデジタル化にも対応したため,デジタルカメラでも成功。2006年持株会社制に移行し,社名を富士フイルムホールディングスと変更,その子会社として富士フイルムと富士ゼロックスを置く体制となった。本社東京,工場足柄,小田原,富士宮ほか。2011年資本金403億円,2011年3月期売上高2兆2170億円。売上構成(%)は,イメージングソリューション15,インフォメーションソリューション41,ドキュメントソリューション44。海外売上比率53%。
→関連項目シングルエイト|富士ゼロックス[株]
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世界大百科事典(旧版)内の富士写真フイルムの言及
【コンピューター産業】より
…前者によるコンピューターに57年開発の武蔵野I号,後者に56年開発のETL・マークIII,57年完成のETL・マークIVがある。また,すでに技術の確立していた真空管を回路素子に使ったコンピューターに,富士写真フイルムの岡崎文次が56年に完成したFUJICがある。これは日本最初の実用機で,記憶装置に水銀の遅延回路を使い,二極管500本,その他の真空管1200本で回路が構成された。…
【写真フィルム】より
…さらに,1回の現像で原画と同じ画像(ポジ像)が得られるオートポジフィルム(直接反転フィルム)や,露光した後は加熱するだけで現像できる熱現像(乾式現像)タイプ([ジアゾタイプ])のフィルムもある。[カラーフィルム]【益田 隆夫】
[写真フィルム工業]
写真フィルム生産には高度な技術力を要するうえに,巨額の設備投資が必要とされるため,日本では[富士写真フイルム]と小西六写真工業(現,コニカ)2社の寡占状態となっており,世界的に見てもアメリカの[イーストマン・コダック]社が世界市場の70%程度をおさえ,同社に日本の2社とドイツ,ベルギーの合弁の[アグファ・ゲバルト]社を入れると95%以上のシェアとなる。日本の生産量を見ると,白黒用が80%,カラー用が20%となっているが,これは,白黒用の中のX線用,工業用の生産量が多いためであり,一般写真用は全体の10%程度にすぎない。…
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