日本歴史地名大系 「富山城跡」の解説
富山城跡
とやまじようあと
〔戦国時代〕
築城以前から戦略上の拠点とされ、永正一六年(一五一九)越後守護代長尾為景が神保慶宗を討伐するため越中へ進攻した際、その軍勢はまず
富山城は天文から永禄(一五五八―七〇)初年にかけて神保長職の本城となったとみられる。同時期の神保氏の支配領域は、東は
富山城跡
とみやまじようあと
富山大掾重興が仁和年間(八八五―八八九)に築城したと伝えられるが、中世、富山氏がその居城として築いたものと考えられる。城名は富山大掾が居城したことによるといい、また
富山城跡
とみやまじようあと
肝属川中流に注ぐ
富山城跡
とみやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報