日本歴史地名大系 「矢作村」の解説
矢作村
やはぎむら
- 岩手県:陸前高田市
- 矢作村
寛永一九年(一六四二)の検地時には人頭五六(「土地検地帳写」上諏訪文書)。正保郷帳では田一二貫七四文・畑四二貫二一〇文、ほかに同所新田一貫九二六文、水損、雑木山と注記される。宝永二年(一七〇五)の人数改では総人数一千八九七、名子二三・水呑一四二、鉄砲数五〇。
矢作村
やはぎむら
- 茨城県:岩井市
- 矢作村
利根川の流作場の北に所在。
矢作村
やはぎむら
矢作村
やはぎむら
矢作村
やはぎむら
矢作村
やはぎむら
- 佐賀県:唐津市
- 矢作村
半田村の北にあり、藩政初期は半田村に属して矢作分とよんでいたが、宝暦六年(一七五六)矢作村となり、庄屋がおかれた。しかし、その後半田村庄屋が矢作村庄屋を兼務、明治初年半田村になる。
矢作村
やはぎむら
矢作村
やはぎむら
- 茨城県:土浦市
- 矢作村
桜川南岸の砂洲状地にあり、
とあり、氏満が明月庵に寺領として寄進している。
天正一八年(一五九〇)に結城秀康領となり、文禄四年(一五九五)二月七日に検地が行われた(「常陸国信太庄矢作村御縄打水帳」宮本庸郎氏蔵)。
矢作村
やはぎむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報