日本歴史地名大系 「射場町」の解説 射場町いばまち 福井県:敦賀市敦賀津内町射場町[現在地名]敦賀市津内(つない)町一丁目法泉寺(ほうせんじ)町の南東、川中(かわなか)の南端に位置し、南は津内村。慶長三年(一五九八)七月の津内村検地帳(田保家文書)に「いは」とみえる。「敦賀雑記」は「朝倉ノ家臣ノ射術ノ稽古場也」とする。「敦賀志」は「慶長の初頃ハ打它氏此町に住り、今も持地有、其比の門番なりし者今猶其処に住て、家名を門ンとよべり」と記す。寛文三年(一六六三)の家数九九、うち家持六五・貸屋三四(寛文雑記)、享保一一年(一七二六)の家数八一(指掌録)。 射場町いばちよう 京都市:上京区室町学区射場町上京区小川通寺之内下ル町名は笠懸(かさかけ)の射場があったことによるといわれる。射場の後面に馬場があり、室町幕府の武士の修練場であった。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「伊ば丁」、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図には「お三間いば丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「射場町」と出る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報