小坂善之助(読み)コサカ ゼンノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小坂善之助」の解説

小坂 善之助
コサカ ゼンノスケ


肩書
衆院議員(立憲政友会),信濃銀行頭取,信濃毎日新聞創業者

生年月日
嘉永6年11月(1853年)

出身地
長野県

経歴
戸長、郡町村連合会議員、同議長、更級郡長兼埴科郡長、南安曇郡長兼北安曇郡長、長野県議、上水内郡参事会員、徴兵参事員、所得税調査委員を歴任明治23年長野郡部より衆院議員に当選。4期。信濃毎日新聞を創立。また、信濃銀行頭取、長野電燈取締役会長、北海道拓殖銀行監査役も務める。

没年月日
大正2年12月21日

家族
長男=小坂 順造(電源開発総裁・衆院議員) 三男=小坂 武雄(信濃毎日新聞社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小坂善之助」の解説

小坂善之助 こさか-ぜんのすけ

1853-1913 明治-大正時代政治家,実業家
嘉永(かえい)6年7月15日生まれ。小坂善太郎祖父。明治14年長野県会議員となり,23年衆議院議員(当選4回,政友会)。また22年信濃(しなの)銀行,30年長野電灯を創立。31年信濃毎日新聞社長に就任し,山路愛山主筆にむかえ紙面刷新をはかった。大正2年12月21日死去。61歳。信濃(長野県)出身幼名は覚太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小坂善之助の言及

【信濃毎日新聞】より

…1873年7月《長野新報》の題号で創刊されたが,その後《長野毎週新聞》《長野新聞》《長野日日新聞》《信濃日報》と改題,81年から現題号になった。1880年代に一時,帝政党の機関紙となったが,86年ごろ脱却,90年株式会社に組織を変更,小坂善之助が実権を握り不偏不党を宣言した。99年,山路愛山を主筆に迎え,このとき〈社長といえども編集に容喙(ようかい)せず〉の方針を明らかにし,以後編集の独立が社風として確立された。…

※「小坂善之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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