20世紀日本人名事典 「小島政吉」の解説
小島 政吉
コジマ マサキチ
        
              - 生年
 - 慶応4年2月20日(1868年)
 - 没年
 - 昭和7(1932)年4月14日
 - 出生地
 - 江戸
 - 学歴〔年〕
 - 東京高等師範学校卒
 - 経歴
 - 江戸出身だが、生後間もなく明治維新の動乱を避けるため一家をあげて信濃国伊那郡に移住。長野県師範学校・東京高等師範学校を卒業後に教師となり、母校長野師範や東京府立高等女学校などで教鞭を執る。明治36年愛知県第二師範学校校長に就任。次いで38年には埼玉県師範学校校長となり、生徒と密接に意志の疎通をはかって学校騒動が頻発した同校の風紀を正した。また、特に体育活動に力を入れ、県下における体育の目標を作ったほか、長距離競走の導入や運動会の改善などを行った。大正6年に同校を離任し、以後は長野県師範学校・埼玉女子師範学校・香川県師範学校の校長を歴任。退職後、請われて私立堀越高等女学校校長を務めた。書をよくし、死後「謙堂遺稿」が編まれた。
 
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

