日本歴史地名大系 「小木町村」の解説 小木町村おぎまちむら 新潟県:佐渡郡小木町小木町村[現在地名]小木町小木町元小木(もとおぎ)村の東にある。東・北は木野浦(きのうら)村。内(うち)ノ澗(ま)・外(そと)ノ澗(ま)の間に延びる城(しろ)山の付根を中心に内ノ澗沿岸と外ノ澗沿岸に集落があるが、内ノ澗を半円状に囲むような集落形成で、湊も内ノ澗が中心であった。町割は内ノ澗からみていちばん奥の突当りが中(なか)町で、ここを中心に外ノ澗寄りが下町、内ノ澗側が上町。慶長九年(一六〇四)に大久保長安に従って小木城に入った原土佐が、問屋五人の指定と番所の設置を行って以後町場が形成された。五人の問屋とは慶安五年(一六五二)の小木十分一船役御帳(宿根木区有)に問屋中と記される九右衛門・清兵衛・次左衛門・勘左衛門・治部左衛門の五人で、各々羽茂本間氏の家来・重立と伝える。現在も本(ほん)町に藤井屋・鍋屋の二軒が残る。残る三軒の和泉屋・大坂屋・播磨屋も番所跡の辺りに軒を並べていたと思われる。「佐渡年代記」によると慶長一九年には小木町を開き渡海場とするとある。湊は元和三年(一六一七)から寛永八年(一六三一)の間の佐渡奉行鎮目市左衛門・竹村九郎右衛門により開発が進められ、この間相川と小木を結ぶ小木街道(現一部国道三五〇号)も整備された。佐渡の金銀は小木湊より出雲崎(いずもざき)(現三島郡出雲崎町)まで運ばれ、出雲崎より信濃国を経て駿府(すんぷ)(現静岡市)や江戸へ運ばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報