20世紀日本人名事典 「小林呉嶠」の解説
小林 呉嶠
コバヤシ ゴキョウ
- 生年
- 明治4年8月10日(1871年)
- 没年
- 昭和3(1928)年11月12日
- 出生地
- 京都府
- 本名
- 小林 喜三郎
- 主な受賞名〔年〕
- セントルイス万国博覧会銀賞牌〔明治37年〕「秋圃群鶏図」,日本美術協会展で2等賞〔40年〕「雪朝」
- 経歴
- 京都の日本画家今尾景年に師事し、四条派の絵画を学ぶ。はじめ関西を中心に活動し、28年「秋霽百喜」が日本青年青年絵画共進会で3等賞を受賞。また23年の第3回内国勧業博覧会で入賞したのを皮切りに、3回連続で同博覧会入選。29年後素協会の結成に参画、さらに同年師の許しを得て上京し、日本絵画協会に参加した。31年日本美術院の設立に際して評議員となるが、歴史画を尊重する同院の風潮に合わず離脱。33年政治家金子堅太郎を会頭とする日月会を日本画家の岡倉秋水らと興したほか、日本美術協会や明治絵画会、文墨協会の委員や幹事を務めた。その後も37年のセントルイス万国博覧会で「秋圃群鶏図」が銀賞牌、40年の日本美術協会展で「雪朝」が2等賞を獲得。同年文展が開設されると旧派の画家たちと共に正派同志会を結成し、幹事に就任するなど東京における四条派日本画の重鎮として活躍。大正2年には第7回文展に出品した「楊柳」が入選。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報