四条派(読み)しじょうは

百科事典マイペディアの解説

四条派【しじょうは】

江戸時代後期に栄えた文人画派。始祖の呉春が京都四条通りに住んでいたので四条派と呼ばれた。呉春が兄事した円山応挙円山(まるやま)派と合わせて円山四条派とも呼ばれるが,南画風を加味して円山派より軽妙で洒脱(しゃだつ)味が濃い。明治時代の日本画復興運動にも大きな影響を与えた。同画派中,松村景文(けいぶん)〔1779-1843〕,岡本豊彦〔1773-1845〕らが名高い。
→関連項目上村松園歌川広重川合玉堂菊池契月幸野楳嶺榊原紫峰竹内栖鳳寺崎広業富田渓仙橋本関雪平福百穂森狙仙山口華楊

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大辞林 第三版の解説

しじょうは【四条派】

日本画の一派。京都四条通りに住した松村呉春を祖とし、松村景文・岡本豊彦らにより広まる。江戸末期から明治にかけて上方かみがた日本画壇の中心をなす。四条流。
時宗十二派の一。四条金蓮寺に住した浄阿(他阿の弟子)が祖。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

四条派
しじょうは

江戸後期に栄えた画派。創始者松村月渓(げっけい)すなわち呉春(ごしゅん)(1752―1811)が、京都四条東洞院(ひがしのとういん)に住していたのでこの名がある。彼は、初め与謝蕪村(よさぶそん)に師事、のち円山応挙(まるやまおうきょ)の画風に強くひかれるが、最後は自らの様式を確立して四条派を創始する。南画の叙情的傾向と円山派の写生的・現実的表現とを総合したような作風で、円山派にかわって京都画壇の中心的勢力をなした。以後、異母弟の松村景文(けいぶん)、門人の岡本豊彦(とよひこ)らが続き、その伝統は明治時代の日本画壇にも影響を及ぼし、竹内栖鳳(せいほう)、幸野楳嶺(こうのばいれい)らを輩出している。[村重 寧]

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世界大百科事典内の四条派の言及

【呉春】より

…江戸中期の画家。四条派の創始者。本姓は松村,通称は文蔵,初名は豊昌,字は允白,伯望。…

【円山四条派】より

…江戸中期に興った絵画の流派。円山応挙が開いた円山派と呉春が興した四条派の総称。18世紀中ごろ狩野派土佐派をはじめとする伝統的画派は形式化に陥り,また琳派は尾形光琳のあと卓越した画家に恵まれず,創造性を枯渇させていた。…

※「四条派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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