日本歴史地名大系 「村上城跡」の解説
村上城跡
むらかみじようあと
村上市のほぼ中央、
〔戦国時代〕
戦国期の城郭の様子を具体的に伺い知ることができるのは、文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図によってである。大きく「村上ようがい」と記された臥牛山頂上の建物は、板葺の入母屋と思われ平屋の曲屋様式にみえる。二ノ曲輪から六ノ曲輪までには白壁平屋や隅櫓・二階櫓があり、柵・門に囲まれる。石垣はなく、急峻な崖を利用している。麓から本丸に至る道は二筋確認され、一筋は山の中央部、すなわち現在の
〔近世〕
慶長三年(一五九八)から元和四年(一六一八)までの村上氏の時には、城内に八ッ棟櫓を建てたこと、三ノ丸・大手筋の堀を掘ったこと(成田本村上城主歴代記)、
村上城跡
むらかみじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報