平林城跡(読み)ひらばやしじようあと

日本歴史地名大系 「平林城跡」の解説

平林城跡
ひらばやしじようあと

[現在地名]神林村平林・葛籠山

平林・葛籠山つづらやま集落の東方標高二八一メートルの要害ようがい山上とその西北麓にある。要害山加護かご山とも称されるため加護山かごやま城とも称された。国指定史跡。城跡の付近には葛籠山地籍に箕輪みのわ要害たてした、平林地籍に殿屋敷とのやしき古門こもん門前もんぜんなどの地名がみられる。麓の館跡は南北約二〇〇メートル・東西約三〇〇メートルで、平野に面する西側を大手とし、大別して三郭に分れる。各郭を土塁と堀が囲繞し、東・南の一部には自然地形を取入れた大規模な堀切がめぐり、北東から南西にかけては滝矢たきや川が自然の堀を形成する。

平林城跡
ひらばやしじようあと

[現在地名]長野市大字平林

平林村の北端にある平城。東西六六間、南北五六間、東に本丸、西に二の丸がある。この間に幅二〇間の堀を設け、内堀という。四方深堀をめぐらし、幅約一〇間。東北隅に飯縄いいづな社を祀る。堀の外に土居跡を残し、外堀水田となる。城の東に使者屋敷、北に蔵屋敷、南に馬場の跡がある。

里伝は武田信玄の将原美濃守の居城とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「平林城跡」の解説

ひらばやしじょうあと【平林城跡】


新潟県村上市葛籠山にある色部(いろべ)氏累代の居館・山城跡。県北部から日本海に流れ込む荒川右岸の丘陵部に営まれ、遺構は標高281mの要害山(古名は加護山)とその西北麓にみられる。館跡は平野に面する西側を大手とし、大別して3郭に分かれる。西南の最も大きな郭は「岩館」と通称され、東西に長い長方形で、北西隅に虎口(こぐち)を開き、その東には続く1郭があり、さらに東に「殿堀」と呼ばれる空堀がある。1974年(昭和49)の発掘調査では、ここに架設された木橋の橋脚を検出したが、この橋を渡った東には「殿屋敷」と呼ばれる館の最も主要な郭が存在する。これらの遺構はきわめて良好に保存されており、鎌倉時代の地頭の居館を起源とする城館遺跡として中世史を理解するうえで貴重なことから、1978年(昭和53)に国の史跡に指定された。JR羽越本線平林駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の平林城跡の言及

【神林[村]】より

…西は蒲原砂丘の北端部からなり,日本海に面する。平林は,中世には色部氏の領地で,要害山(加護山)に築かれた平林城跡は中世の典型的山城として県史跡に指定されている。神納郷は早場米として知られる荒川米の産地で,水田単作の穀倉地帯であるが,近年は畜産などをとり入れた複合経営化が進み,食品加工も盛ん。…

※「平林城跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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