日本歴史地名大系 「小泉神社」の解説 小泉神社こいずみじんじや 岐阜県:可児郡御嵩町中切村小泉神社[現在地名]御嵩町中切 天王洞中切(なかぎり)の南東、宿(しゆく)との境の字天王洞(てんのうぼら)の丘陵中腹にある。祭神は建速須佐之男命。旧郷社。近世までは天王祠といわれ、明治二年(一八六九)小泉神社と改称。旧上之郷(かみのごう)村旧蔵の古社寺取調書によると、貞永二年(一二三三)美濃国小泉庄の吉田主計が美佐野の熊野(みざののくまの)山羽(は)ヶ嶽(たけ)に社を造営して牛頭天王を勧請した。正元元年(一二五九)疾病流行の際平癒の霊験があらたかであったので、官より祭典禄として上田五〇町を与えられ、祭礼に祇園の能が始められたという。弘安四年(一二八一)美佐野の住人交告喜太夫と、送り木(おくりぎ)の住人青木与茂七に一尺八寸の宝剣などを奉納せよという同じ神夢があり、二人は宝剣を社前に納め、田地数十町を寄せ、このとき祭典、祭祀の格式が定められたと伝える。 小泉神社こいずみじんじや 奈良県:大和郡山市小泉村小泉神社[現在地名]大和郡山市小泉町小泉集落西部に鎮座。祭神素盞嗚(すさのお)命・誉田別(ほんだわけ)命。旧村社。永正五年(一五〇八)の小泉南北之御宮日記(宮座所蔵)が残り、南の宮と北の宮があったようである。同日記によると祭礼は南の宮が九月六日、北の宮が九月七日で、一〇人の頭人からなり、田楽・猿楽も奉納されたらしい。また文安五年(一四四八)九月六日、七日「マツリノコミコメニツキソロテ ミコ カンヌシ ホツシヨウシト 一方チケノヲトナト サウロンセラレソロニヨツテ」とあるように相論があったが、領主たる「トノ」より鬮で決定するよう指示があり、その結果神主方の主張が通っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by