小畑美稲(読み)おばた・うましね

朝日日本歴史人物事典 「小畑美稲」の解説

小畑美稲

没年:大正1.11.12(1912)
生年:文政12.9(1829)
幕末土佐(高知県)の志士,明治期の司法官僚。通称孫次郎,諱ははじめ綽裕。勤王党の獄で刑死した孫三郎は実弟奥宮慥斎に陽明学を学び,武市瑞山土佐勤王党に加盟,文久年間,同志と国事に奔走,文久3(1863)年秋の勤王党の獄で入獄,永牢の刑に処せられる。維新で赦免され明治政府に出仕,明治2(1869)年弾正大巡察,4年司法大解部,7年右大臣岩倉具視襲撃(赤坂食違坂の変)の武市熊吉らを審判した。西南戦争(1877)後の断獄に手腕を発揮し,以降京都裁判所長,名古屋控訴院長を歴任,17年元老院議官,23年貴族院勅選議員。29年男爵。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小畑美稲」の解説

小畑美稲 おばた-うましね

1829-1912 明治時代の司法官。
文政12年9月25日生まれ。奥宮慥斎(ぞうさい)にまなび,明治2年弾正(だんじょう)大巡察,4年大解部(ときべ)となった。のち京都地方裁判所長,名古屋・宮城控訴裁判所長,香川県知事をつとめた。元老院議官,貴族院議員。大正元年11月12日死去。84歳。土佐(高知県)出身初名は綽裕。通称は孫次郎。

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