小笠原政康(読み)おがさわら まさやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小笠原政康」の解説

小笠原政康 おがさわら-まさやす

1376-1442 室町時代武将
永和2=天授2年生まれ。小笠原長基(ながもと)の子。応永23年上杉禅秀の乱の討伐にくわわる。32年信濃(しなの)守護となり,小笠原氏勢力を回復する。永享の乱では鎌倉を攻略し,結城(ゆうき)合戦では陣中奉行をつとめた。嘉吉(かきつ)2年8月9日死去。67歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小笠原政康」の意味・わかりやすい解説

小笠原政康
おがさわらまさやす

[生]天授2=永和2(1376).信濃
[没]嘉吉2(1442).8.9.
室町時代の武将。信濃守護。長基の子。応永 19 (1412) 年兄長秀の遁世ののち家を継いだ。幕命で鎌倉公方足利持氏およびその遺子を討った。

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世界大百科事典(旧版)内の小笠原政康の言及

【信濃国】より

… 大塔合戦後,室町幕府は信濃国を直轄国とし,国人の懐柔策をとったが容易に鎮静しなかった。1416年の上杉禅秀の乱,23年の足利持氏の乱の鎮圧に功績を挙げた小笠原政康は25年信濃国守護に補されるとともに,国人に対し硬軟の両策をもって懐柔を始めた。38年(永享10)永享の乱に際し,政康は守護として信濃国軍を率いて出陣した。…

※「小笠原政康」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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