小西六右衛門(読み)こにしろくえもん

精選版 日本国語大辞典 「小西六右衛門」の意味・読み・例文・類語

こにし‐ろくえもん【小西六右衛門】

  1. 実業家本姓杉浦江戸の人。写真材料を輸入・販売し、明治三五年(一九〇二)写真工場六桜社(小西六写真工業・現コニカ前身)を設立。また「写真月報」を発刊し、小西写真専門学校(東京工芸大学の前身)を創立するなど、写真の普及と写真業界の発展に尽力した。弘化四~大正一〇年(一八四七‐一九二一

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20世紀日本人名事典 「小西六右衛門」の解説

小西 六右衛門
コニシ ロクエモン

明治・大正期の実業家 小西六写真工業創業者。



生年
弘化4年8月4日(1847年)

没年
大正10(1921)年10月5日

出生地
江戸

本名
杉浦 六右衛門

経歴
明治初年東京・日本橋薬種商と写真材料商を営む。のち写真機械、石版印刷機械を輸入し、35年淀橋に六桜社を創立。以後業務の拡張を図り、フランス人技師を招いて指導を受け、写真器機・材料などの製作に携わる。以後写真が普及するに伴い小西六(現・コニカ)の名は写真業界の雄として広まった。この間27年「写真月報」を創刊、写真関係の図書出版を行い、また小西写真専門学校(のち東京写真専門学校)を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西六右衛門」の解説

小西六右衛門 こにし-ろくえもん

1847-1921 明治-大正時代の実業家。
弘化(こうか)4年8月4日生まれ。明治35年六桜社(現コニカ)を設立し,フランス人技師の指導で写真機材を製作。「写真月報」の刊行,小西写真専門学校(のち東京写真専門学校)の設立などにより,写真技術の普及をはかった。大正10年10月5日死去。75歳。江戸出身。本姓は杉浦。

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朝日日本歴史人物事典 「小西六右衛門」の解説

小西六右衛門

没年:大正10.10.5(1921)
生年:弘化4.8.4(1847.9.13)
明治期の実業家。とりわけ写真材料商として有名。本姓は杉浦。スタートは日本橋の薬種商,のち写真器材,石版機械の輸入業大桜社を設立。同社は小西六,コニカと社名を移し今日に至る。

(平木収)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「小西六右衛門」の解説

小西 六右衛門 (こにし ろくえもん)

生年月日:1847年8月4日
明治時代;大正時代の実業家
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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