小野寺十内(読み)オノデラジュウナイ

デジタル大辞泉 「小野寺十内」の意味・読み・例文・類語

おのでら‐じゅうない〔をのでらジフナイ〕【小野寺十内】

[1643~1703]赤穂義士あこうぎし一人。名は秀和。浅野家の京都留守居役。

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精選版 日本国語大辞典 「小野寺十内」の意味・読み・例文・類語

おのでら‐じゅうない【小野寺十内】

  1. 赤穂義士の一人。浅野家の京都留守居役。名は秀和。討入りまでは、医者仙北十庵と名のる。寛永二〇~元祿一六年(一六四三‐一七〇三

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朝日日本歴史人物事典 「小野寺十内」の解説

小野寺十内

没年元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛永20(1643)
江戸中期,赤穂事件四十七士のひとり。名は秀和。変名は仙北十庵。役職は赤穂藩京都留守居役,150石,役料70石。原惣右衛門,吉田忠左衛門,堀部弥兵衛らと共に,一党の中の年輩者として,大石良雄を助けて元禄15年12月14日(1703.1.30)の「討入り」を成就させた。その際姉の子の大高源吾,源吾の弟で,養子とした小野寺幸右衛門や源吾の甥の岡野金右衛門ら血のつながる人々を率いて,十分な活動をした。妻の丹は,同藩士の灰方藤兵衛の妹。夫婦仲が良く,和歌を相互に手紙に書き送っている。丹は十内切腹ののちは,万事を整理して,断食して6月なかごろ死去した。<参考文献>松島榮一『忠臣蔵

(松島榮一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野寺十内」の解説

小野寺十内 おのでら-じゅうない

1643-1703 江戸時代前期の武士
寛永20年生まれ。赤穂(あこう)四十七士のひとり。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂藩主浅野長矩(ながのり)につかえ,京都留守居。大石主税(ちから)につきそって江戸に出,吉良邸討ち入りにくわわった。元禄(げんろく)16年2月4日細川邸で切腹。61歳。名は秀和(ひでかず)。変名は仙北十庵。
格言など】わすれめやももに余れる年を経て仕へしよよの君が情を(辞世)

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