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赤穂義士 あこうぎし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤穂義士
あこうぎし

江戸時代中期,5代将軍徳川綱吉の時代,元禄 15 (1702) 年 12月 14日夜 (15日早朝) ,江戸の吉良義央 (上野介) 邸に討入り,旧主浅野長矩 (内匠頭) の仇討ちをとげた赤穂浪士大石良雄ら 46人と,仇討ちのとき姿を消した寺坂吉右衛門を含めて四十七士として知られる。 47人の実名,当時の年齢は次のとおり。大石内蔵助良雄 (45) ,大石主税良金 (16) ,片岡源五右衛門高房 (37) ,原惣右衛門元辰 (56) ,堀部弥兵衛金丸 (77) ,堀部安兵衛武庸 (34) ,近松勘六行重 (34) ,吉田忠左衛門兼亮 (64) ,吉田沢右衛門兼貞 (29) ,間瀬久太夫正明 (63) ,間瀬孫九郎正辰 (23) ,潮田又之丞高教 (35) ,富森助右衛門正因 (34) ,赤埴源蔵重賢 (35,赤垣源蔵として知られる) ,不破数右衛門正種 (34) ,岡野金右衛門秀包 (24) ,小野寺十内秀和 (61) ,小野寺幸右衛門秀富 (28) ,奥田孫太夫重盛 (57) ,奥田貞右衛門行高 (26) ,大石瀬左衛門信清 (27) ,木村岡右衛門貞行 (46) ,矢田五郎右衛門助武 (29) ,早水藤左衛門満堯 (40) ,礒貝十郎左衛門正久 (25) ,間喜兵衛光延 (69) ,間十次郎光興 (26) ,間新六光風 (24) ,中村勘助正辰 (45) ,菅谷半之丞政利 (44) ,千馬三郎兵衛光忠 (51) ,村松喜兵衛秀直 (62) ,村松三太夫高直 (27) ,岡嶋八十右衛門常樹 (38) ,大高源吾忠雄 (32) ,倉橋伝助武幸 (34) ,矢頭右衛門七教兼 (18) ,勝田新左衛門武堯 (24) ,前原伊助定房 (40) ,貝賀弥左衛門友信 (54) ,武林唯七隆重 (32) ,杉野十平次次房 (28) ,神崎与五郎則休 (38) ,茅野和助常成 (37) ,横川勘平宗利 (37) ,三村次郎左衛門包常 (37) ,寺坂吉右衛門信行 (83?没) 。

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デジタル大辞泉の解説

あこう‐ぎし〔あかほ‐〕【赤穂義士】

元禄15年(1702)12月14日、主君の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の恥辱をそそぐため、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)を討った旧赤穂藩士47名のこと。翌年2月4日、幕府の命により切腹、泉岳寺に葬られた。赤穂浪士。四十七士。寺坂吉右衛門が討ち入りの途中から姿を消したので四十六士ともいう。

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デジタル大辞泉プラスの解説

赤穂義士

海音寺潮五郎の史伝文学。1955年刊行。

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