ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギュイヨン」の意味・わかりやすい解説
ギュイヨン
Guyon, Jeanne Marie Bouvière de la Mothe
[没]1717.6.9. ブロア
フランスの女性神秘思想家。 1676年夫と死別して宗教生活に入り,サボアでプロテスタントの家庭の女子教育を目的とするカトリック施設の創立に参加し,バルナバ会士 F.B.ラコンブ (1643~1715) と邂逅,その影響下に永遠の救いにすら執着しないこだわらない心と忍従を強調する立場を確立した。その神秘思想の普及とともに2人は迫害を受けトリノ,グルノーブルなどを転々として教え続けた。 87年ラコンブ,88年には彼女が捕えられたが,マントノン夫人の力で彼女は釈放され,サン・シールの宮廷女学校で教壇に立った。その間文通によりフェヌロンに大きな影響を及ぼした。しかしサン・シールでの成功をねたんだマントノン夫人は彼女を静寂主義 (キエティズム) の誤りを説くものと訴えた。この謬説を恐れた J.ボシュエとフェヌロンとの間に激しい論争が起り,ギュイヨンは 95年のイシでの会議で釈明を求められるにいたった。その結果,フェヌロンの弁護もむなしく,静寂主義は断罪され (教皇も 1699年これを断罪した) ,ボシュエにより異端の疑いおよび不従順のかどで,再び 1703年までバスティーユ獄につながれた。のちディジエ (1703) ,ブロア (06) に追放されたが,その晩年は人々の崇敬を受けて過した。
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