小野恒柯(読み)おののつねえだ

朝日日本歴史人物事典 「小野恒柯」の解説

小野恒柯

没年貞観2.5.18(860.6.10)
生年大同3(808)
平安前期の官人,書家。出羽守滝雄の子。小野 篁 は従兄学問を好んで文才を発揮,ことに承和8(841)年12月,渤海使者の賀福延ら105人が長門国(山口県)に来着したときには存問渤海客使に任じられている。この間近江大掾などを歴任したが地方官としての治績はいまひとつで,のち播磨守在任中などは「治,簡要を貴び,政,開明せず」などと毀誉相半ばするような評価が与えられている。自分の信ずるところに従い表裏のない人物であったが,傲岸な面があったからであろう。書道では絶妙の才能を有し,その筆跡を愛重しないものはいなかったという。

(瀧浪貞子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野恒柯」の解説

小野恒柯 おのの-つねえだ

808-860 平安時代前期の官吏,書家。
大同(だいどう)3年生まれ。小野篁(たかむら)の従弟。承和(じょうわ)2年少内記となり,大内記,大宰少弐(だざいのしょうに),右少弁,播磨守(はりまのかみ)などを歴任。草書,隷書(れいしょ)の名筆といわれ,その書は世人の手本とされた。貞観(じょうがん)2年5月18日死去。53歳。

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