鷹飼(読み)たかがい

精選版 日本国語大辞典 「鷹飼」の意味・読み・例文・類語

たか‐がい ‥がひ【鷹飼】

〘名〙 鷹を飼うこと。鷹を飼養・訓練して狩猟を行なうこと。また、多く、それを職とする人をいう。たかがいびと。鷹匠(たかじょう)鷹師
伊勢物語(10C前)一一四「大鷹のたかがひにてさぶらはせたまひける」

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改訂新版 世界大百科事典 「鷹飼」の意味・わかりやすい解説

鷹飼 (たかがい)

鷹を飼養して鷹狩をすること。多くはそれを職とする人をいう。鷹を肩にのせた人物埴輪があり,《日本書紀》仁徳天皇43年9月1日条には,依網屯倉(よさみのみやけ)で捕獲された鷹について,酒君(さけのきみ)がこれは百済に多くいるクチという名の鳥だといい,馴らして天皇に献上,天皇は鷹狩を行って,このとき初めて鷹甘部(たかかいべ)を定めたとある。このように,遅くとも古墳時代までに朝鮮半島を経て日本列島に入ってきた鷹飼は,軍事的意味をもっていたと思われ,令制で設置された主鷹司は兵部省の被官とされている。鷹,犬の調練職掌とし,鷹巣を作って鷹を育てるなどのことも行った主鷹司は,放鷹司ともいわれる。中央官司としては最低の格に位置づけられており,大和,河内摂津に分布する鷹養戸(鷹戸)17戸が調を免除された品部(しなべ)として所属しているほか,犬飼犬養部),餌取もその隷下にあった。仏教思想の浸透に伴い,721年(養老5)いったん廃されたがまもなく復活,726年(神亀3)鷹戸10戸が定められた。道鏡の時代の764年(天平宝字8)に再び廃止されて放生司となり,791年(延暦10)鷹戸も停止されたが,主鷹司は794年までには復置されている。桓武天皇は著しく鷹狩を好み,しばしば河内の交野(かたの)で放鷹遊猟を行い,また9世紀には鷹を好む天皇が多かった。

 この間,773年(宝亀4)以来,795年,804年と,しばしば私的に鷹を飼うことが禁制され,808年(大同3)親王,観察使以上,六衛府次官以上にはとくに許されたが,鷹飼は天皇の権威と結びつく性格を強めている。それは820年(弘仁11)以来,主鷹司に置かれた鷹飼30人・犬30牙のうち,鷹飼10人・犬10牙が蔵人所に割置された点にも現れており,主鷹司には860年(貞観2)以後官人が置かれず,883年(元慶7)上述の数の鷹飼・犬が蔵人所に長く所属することと定められた。このころまでに,諸国に禁野が設定されており,860年には禁野での鷹狩を禁ずるとともに,無頼の輩が野守(のもり)を理由に百姓の採草採木を妨げることを抑制している。桓武のときから百済王が検校となった河内交野をはじめ,山城北野,大和宇陀野などは天皇の鷹場としてよく知られている。醍醐天皇も鷹を好み,しばしば北野・大原野に遊猟し,蔵人所に属する鷹飼たちに鷹狩を行わせた。一方,911年(延喜11)に定められた六箇国日次御贄(ひなみみにえ)貢進の制度()の中で,近江は鯉などの淡水魚のほかに雉・鳩・鶉等の鳥を貢進することになっているが,これは御雉所に属した鷹飼によって捕獲されたもので,実態は明らかでないが,諸国にも鷹飼は広く分布していたものと思われる。

 10世紀以後,天皇の遊猟は行われなくなり,鷹飼の殺生をいとう説話が《今昔物語集》に見られるように,殺生禁断による制約も強くなるとともに,朝廷の鷹飼はしだいに儀式化していった。しかし978年(天元1)出羽国から貢進された鷹・犬が,天皇が見たのちに蔵人所から師貞親王や近江供御所に班給された事実(《小右記》)の示すように,鷹飼は天皇に直属しており,やがて近衛府の下級官人の家に固定するようになっていく。9世紀後半から10世紀前半以降,下毛野(しもつけぬ)氏から〈御鷹飼〉となるものが多く出,11世紀にはまだ中臣氏も鷹飼になっているが,院政期になると下毛野氏による鷹飼職の世襲,河内国交野禁野の鷹飼免田の相伝がほぼ定まった。1161年(応保1)12月,交野鷹飼の下毛野武安・友武は,鷹飼免田を摂関家領楠葉御牧の住人と争っており,この相論は87年(文治3)までつづいているが,散所雑色長の地位も世襲した随身下毛野氏による鷹飼職,交野禁野免田の世襲は,以後も変わることなく継続した。

 《西宮記》によると,〈御鷹飼〉の補任は内侍宣あるいは蔵人の奉勅により,天皇の命を検非違使・馬寮に伝えるとともに,蔵人所下文をもって禁野にもこの旨を命ずることになっており,交野禁野の検校の補任も禁野に充てた蔵人所牒によって行われた。しかし《山槐記》永暦1年(1160)12月15日,18日条によると,鷹飼職の補任は蔵人所牒をもって行うのが〈近代の例〉といわれ,実際に1218年(建保6),1248年(宝治2),河内国交野禁野あてに下毛野能武・武貞を鷹飼職に補任した牒が〈調子文書〉に伝わっていて,下文でなく牒による補任が例となったことを知りうる。一方,1106年(嘉承1),近江供御所に属した雉供御人と重なる鷹飼が伊香郡,栗太郡にいたことを確認することができるが(〈打聞集紙背文書〉),この人々は鎌倉時代までに鳥供御人となり,やがて室町・戦国期,鳥座の商人になっていったものと思われる。

 下って1537年(天文6),河内の禁野交野御鷹飼料所が綸旨により秦兼照に与えられたこともあって,多少の動揺もみられるが,そのころには調子氏と名のるようになった下毛野氏が戦国期まで鷹飼職,交野禁野米等を知行していたことは,〈調子文書〉によって確認することができる。
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世界大百科事典(旧版)内の鷹飼の言及

【蔵人所】より

…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
 蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…

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