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小野道風 おののとうふう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小野道風
おののとうふう

[生]寛平6(894)
[没]康保1(964)
平安時代中期の書家。正しくは「みちかぜ」と読む。三跡の一人。小野篁 (おののたかむら) の孫,大宰大弐葛絃 (だざいのだいにくずお) の子。若いときから能書の誉れ高く,宮廷の障子,屏風に筆をふるい,66歳のとき天徳詩合の清書をして「能書之絶妙也,羲之 (ぎし) 再生」と称賛された。穏やかな格調の整った書風は,中国の書風から離れて日本化された和様の典型であり,上代様の完成の基礎をつくった功績は大きい。遺墨には,延長5 (927) 年の『円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書』 (国宝,東京国立博物館) ,同6年の『屏風土代』 (宮内庁三の丸尚蔵館) ,『玉泉帖』 (同) ,『三体白氏詩巻』 (国宝) などがある。伝称作品として著名なものは『継色紙』『本阿弥切』『秋萩帖』など。

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デジタル大辞泉の解説

おの‐の‐とうふう〔をの‐タウフウ〕【小野道風】

[894~966]平安中期の書家。尾張の人。篁(たかむら)の孫。書道にすぐれ、和様発達の基礎を築いた。三蹟(さんせき)の一人で、その筆跡野跡という。真跡とされるものに「智証大師諡号勅書」「屏風土代」など。本名は「みちかぜ」で、「とうふう」は後世に尊んで音でよんだもの。

おの‐の‐みちかぜ〔をの‐〕【小野道風】

小野道風(おののとうふう)

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百科事典マイペディアの解説

小野道風【おののとうふう】

平安中期の家。〈みちかぜ〉とも読む。小野篁の孫。醍醐・朱雀・村上の3朝に仕え,能書として重用された。藤原佐理藤原行成とともに三蹟の一人で,和様書道創始者として日本書道史上最も重要な位置を占める。
→関連項目尊円親王継色紙

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野道風 おのの-みちかぜ

894-967* 平安時代中期の書家,歌人。
寛平(かんぴょう)6年生まれ。小野篁(たかむら)の孫。小野好古(よしふる)の弟。醍醐(だいご),朱雀(すざく),村上の3天皇につかえ,木工頭(もくのかみ),内蔵(くらの)頭などをつとめた。和様の書を確立して,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり)とともに三蹟とよばれた。「後撰和歌集」に5首のる。康保(こうほう)3年12月27日死去。73歳。名は「とうふう」ともよむ。作品に「屏風土代(びょうぶどだい)」「玉泉帖(じょう)」など。

小野道風 おのの-とうふう

おのの-みちかぜ

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野道風

没年:康保3.12.27(967.2.9)
生年:寛平6(894)
平安中期を代表する能書。「とうふう」とも称される。葛絃の子。漢学者で能書としても名高い 篁 の孫。後世,道風の書は「野跡」と呼ばれ,藤原佐理の「佐跡」,藤原行成の「権跡」とともに「三跡」と並び称された。その書風は「道風様」の名で一世を風靡した。官職は少内記,右衛門佐,木工頭などを経由して正四位下・内蔵頭に至ったが,とりわけ能書の誉れが高く,宮廷の書き役として醍醐・朱雀・村上の各朝廷に歴仕した。中でも,天皇が即位後に最初に行う新嘗祭(宮中において天皇がその年の新穀を天地の神々に供え,みずからも食する式典)である大嘗会に用いられる悠紀主基屏風の色紙形の筆者に選ばれることは,一代の能書としての栄誉とされる。道風は朱雀・村上の両天皇の大嘗会において活躍の場が与えられたが,その他にも多くの能書活動の記録が今日に伝えられている。現存する遺品では,「智証大師諡号勅書」「屏風土代」「玉泉帖」「三体白氏詩巻」「絹地切」などが知られる。これらは楷書,行書,草書など各書体にわたっていて巧みであり,力強く懐の大きい豊潤な書風を展開し,そこには道風みずからが開拓した独自性が窺える。道風書の基盤には,中国東晋時代の能書で書聖と呼ばれる王羲之書法があり,道風在世中に「羲之の再生」と喧伝されたほどである。また佐理や行成にも少なからず影響をおよぼし,日本書道史上,和様の開祖として重要な地位に置かれる。

(古谷稔)

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世界大百科事典 第2版の解説

おののとうふう【小野道風】

894‐966(寛平6‐康保3)
平安時代の名筆家。藤原佐理,藤原行成とともに〈三蹟〉の一人で,その筆跡を野蹟(やせき)と呼ぶ。小野葛絃(くずお)の子で篁(たかむら)の孫。古来,第一等の書聖の一人とされ,とくに和様書道の創始者としての功績はきわめて大きい。道風は官職はあまり高くなく,内蔵頭(くらのかみ)で終わっている。しかし名家から揮毫依頼が多く,紫宸殿賢聖障子や大嘗会の屛風に筆をふるうなど,宮廷の重要な依頼にも応じている。朝廷では,その書を唐へ送って国のほまれとしたほどであった。

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大辞林 第三版の解説

おののみちかぜ【小野道風】

〔名は「とうふう」とも〕 (894~966) 平安中期の書家。篁たかむらの孫。醍醐・朱雀・村上の三天皇に仕える。書は王羲之の書法を基として、和様書道を開拓。三蹟の一。遺墨「智証大師諡号勅書」「屛風土代」など。

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世界大百科事典内の小野道風の言及

【小野道風青柳硯】より

…1754年(宝暦4)10月大坂竹本座初演。陽成天皇の時代,天下をねらう橘逸勢(はやなり)一味の悪計が,小野道風・頼風兄弟や小野良実,大工の独鈷(とつこ)の駄六(実は文屋秋津)らの活躍と彼らに縁のつながる女たちのけなげな自己犠牲とによって未然に打ち破られるという経緯を描いた作品。道風の事跡を題材に採り上げた芝居としてはすでに加賀掾,義太夫,土佐少掾らの浄瑠璃が存在していたが,本作は,それら先行諸作にとらわれることなく,奔放自在に複雑な構想を展開させたもの。…

【春日井[市]】より

…東部の丘陵地は愛知高原国定公園に指定され,東海自然歩道が通る。小野道風の誕生地とされる松河戸には小野社がある。【溝口 常俊】。…

【三蹟】より

…平安中期の能書家,小野道風藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり)の3人,またその書をさす。中国や日本では名数が好まれたが,書道のうえでも平安初期の嵯峨天皇,橘逸勢(はやなり),空海が〈三筆〉と称され,〈三蹟〉はこれに対応する。…

【書】より

… 空海より約半世紀後の円珍の書状を見ると,細い墨線の筆触に柔らか味を増して,和様化が急激に進んだ書風である。また,嵯峨天皇より約1世紀を経た醍醐天皇には,《白氏文集》を大字で揮毫した巻物が遺存するが,草書の率意の書でまったく和風の線質となり,小野道風の《玉泉帖》に通ずるところが見え,和様書道の成立期にいたったことを物語っている。この時期が三蹟(小野道風,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり))の時代で,道風によって代表される。…

【継色紙】より

…余白がゆたかで,短く切って散らし書きにされた和歌は,おもしろいリズムを生じている。古来の鑑定では小野道風筆とされているが,実際は下って院政期の書であろう。寸松庵色紙,升色紙とあわせて三色紙といわれる。…

【屛風土代】より

…平安時代の能書小野道風の筆蹟。巻子本の行書の詩巻で,宮内庁蔵。…

※「小野道風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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