平安中期の能書家。藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)とともに三蹟(さんせき)とよばれ、平安初期の三筆と並び称される。遣隋使(けんずいし)小野妹子(いもこ)をはじめ、篁(たかむら)、恒柯(つねえだ)(808―860)ら文化人を輩出した家系に、葛絃(くずお)の子として生まれた。その伝歴はかならずしもつまびらかでないが、諸記録を点綴(てんてい)すると、右衛門少尉(えもんしょうじょう)、少内記(しょうないき)、内蔵権助(くらのごんすけ)、右衛門佐(すけ)、木工頭(もくのかみ)という官途をたどり、康保(こうほう)3年73歳で没したときには正四位下・内蔵頭(くらのかみ)であったことがわかる。村上(むらかみ)、朱雀(すざく)両天皇の大嘗会(だいじょうえ)に悠紀主基屏風(ゆきすきびょうぶ)の色紙形(しきしがた)を清書したのをはじめ、願文(がんもん)や門額の揮毫(きごう)など、当代随一の能書として目覚ましい活躍を遂げた。その書風は前代に引き続いて中国の王羲之(おうぎし)の書法を根底としたものであったが、豊麗で柔軟な筆法は、『源氏物語』の「絵合(えあわせ)」に「今めかしう」と評されるように、独自の新様式を加味したものであった。後続の佐理、行成を経て完成された、いわゆる和様の書の基礎を築いた功績は大きい。道風の筆跡は在世中から愛好されたが、後世、野跡(やせき)とよばれてますます尊重されるようになった。『智証大師諡号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)』(東京国立博物館、国宝)、『屏風土代(びょうぶどだい)』(国宝)『玉泉帖(ぎょくせんじょう)』(ともに御物)、『三体白氏詩巻』(正木美術館、国宝)、『秋萩帖(あきはぎじょう)』(東京国立博物館、国宝)などが遺墨として伝存する。
[松原 茂]
『小松茂美著『平安朝伝来の白氏文集と三蹟の研究』(1965・墨水書房)』
平安時代の名筆家。藤原佐理,藤原行成とともに〈三蹟〉の一人で,その筆跡を野蹟(やせき)と呼ぶ。小野葛絃(くずお)の子で篁(たかむら)の孫。古来,第一等の書聖の一人とされ,とくに和様書道の創始者としての功績はきわめて大きい。道風は官職はあまり高くなく,内蔵頭(くらのかみ)で終わっている。しかし名家から揮毫の依頼が多く,紫宸殿の賢聖障子や大嘗会の屛風に筆をふるうなど,宮廷の重要な依頼にも応じている。朝廷では,その書を唐へ送って国のほまれとしたほどであった。永く非常な名声を保ったため,道風の筆跡と称せられる遺品は数多いが,疑いを入れぬものは必ずしも多くない。藤原定信が奥書をした《屛風土代(びようぶどだい)》(宮内庁),それと書風の全く一致する《白楽天 常楽里閑居詩》(前田育徳会),道風に書かせたことが史書にしるされている《円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号(しごう)勅書》(東京国立博物館保管),《三体白氏詩巻》(正木美術館),自ら〈例の体に非らず〉といった,道風としては珍しく気骨のある《玉泉帖(ぎよくせんじよう)》(宮内庁)などが主要なものである。ほかに,10通をこす書状があって,その中には確実に道風の書風をしるべき仮名も存したのであるが,今日原本の所在は不明で,江戸時代末期に刊行された《集古浪華帖》に模刻をみるのみである。御物に道風の肖像と称する伝頼寿法橋筆の一幅があるが,近年これは,藤原佐理の像とする新説が出た。また,彼をまつったという小野道風神社が滋賀県志賀町にある。
執筆者:田村 悦子 平安時代後期に,延喜・天暦(醍醐・村上天皇)時代を理想的な時代とする歴史観が成立すると,道風はその時代の文化を代表する人物の一人とされるようになった。《江談抄》や《今昔物語集》には,村上天皇に重んぜられた道風の活躍が語られている。鎌倉時代に入ると,道風は弘法大師と並び称せられるようになり,その書は特別な霊力を持つと信じられたり(《撰集抄》),自信満々の道風が弘法大師の書を難じたところ中風になったと伝えられたり(《古今著聞集》)した。また,浄瑠璃《小野道風青柳硯》の,道風が柳の枝に飛びつこうとする蛙を見て発奮し,書道に精進したという話は,江戸時代以降教訓話として広く知られた。
執筆者:大隅 和雄
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(古谷稔)
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894~966.12.27
名は「とうふう」とも。平安中期の官人・能書家。葛絃(くずお)の子。正四位下・内蔵頭。醍醐・朱雀(すざく)・村上の3朝にわたって活躍。宮門の額や紫宸殿賢聖障子(けんじょうのしょうじ)の銘の執筆,願文や上表文の清書など,能書ぶりを裏づける記録は多い。朱雀・村上両天皇の大嘗会の悠紀主基(ゆきすき)屏風の色紙形揮毫は,道風が当代一の能書であることを象徴する。その書は王羲之(おうぎし)の書法を骨格とし,さらに豊麗で柔軟な筆遣いにより新書風を打ち出した。「源氏物語」にいう「今めかしうおかしげ」なこの書風は,のちの和様書道の基礎となった。道風の書は野蹟(やせき)と尊ばれ,藤原行成(ゆきなり)・同佐理(すけまさ)とともに,三蹟にあげられる。代表作「屏風土代(どだい)」「玉泉帖」「三体白氏詩巻」。
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…1754年(宝暦4)10月大坂竹本座初演。陽成天皇の時代,天下をねらう橘逸勢(はやなり)一味の悪計が,小野道風・頼風兄弟や小野良実,大工の独鈷(とつこ)の駄六(実は文屋秋津)らの活躍と彼らに縁のつながる女たちのけなげな自己犠牲とによって未然に打ち破られるという経緯を描いた作品。道風の事跡を題材に採り上げた芝居としてはすでに加賀掾,義太夫,土佐少掾らの浄瑠璃が存在していたが,本作は,それら先行諸作にとらわれることなく,奔放自在に複雑な構想を展開させたもの。…
…東部の丘陵地は愛知高原国定公園に指定され,東海自然歩道が通る。小野道風の誕生地とされる松河戸には小野社がある。【溝口 常俊】。…
…平安中期の能書家,小野道風,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり)の3人,またその書をさす。中国や日本では名数が好まれたが,書道のうえでも平安初期の嵯峨天皇,橘逸勢(はやなり),空海が〈三筆〉と称され,〈三蹟〉はこれに対応する。…
… 空海より約半世紀後の円珍の書状を見ると,細い墨線の筆触に柔らか味を増して,和様化が急激に進んだ書風である。また,嵯峨天皇より約1世紀を経た醍醐天皇には,《白氏文集》を大字で揮毫した巻物が遺存するが,草書の率意の書でまったく和風の線質となり,小野道風の《玉泉帖》に通ずるところが見え,和様書道の成立期にいたったことを物語っている。この時期が三蹟(小野道風,藤原佐理(すけまさ),藤原行成(ゆきなり))の時代で,道風によって代表される。…
…余白がゆたかで,短く切って散らし書きにされた和歌は,おもしろいリズムを生じている。古来の鑑定では小野道風筆とされているが,実際は下って院政期の書であろう。寸松庵色紙,升色紙とあわせて三色紙といわれる。…
…平安時代の能書小野道風の筆蹟。巻子本の行書の詩巻で,宮内庁蔵。…
※「小野道風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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