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小野権右衛門 おの ごんえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野権右衛門 おの-ごんえもん

1662-1732 江戸時代前期-中期の豪商。
寛文2年生まれ。近江(おうみ)商人。元禄(げんろく)2年陸奥(むつ)上平沢村(岩手県紫波(しわ)町)にいた叔父村井権兵衛(近江屋)の養子となって伊兵衛(のち権兵衛)を称し,3年京都に鍵屋を開店,本姓にもどって小野権右衛門を名のる。奥州の砂金と京坂の木綿・古着・雑貨類との交易で財をなし,江戸,大坂に進出。郡山(こおりやま)城下(紫波町)に井筒屋(いづつや)をひらき,盛岡藩御用達をつとめた。享保(きょうほう)17年10月3日死去。71歳。名は唯貞。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野権右衛門

江戸時代前期の豪商。京都,盛岡,江戸など全国に営業活動を行った近江出身の小野家の同族のひとつ。屋号は鍵屋権右衛門もしくは井筒屋権右衛門。近江国大溝(滋賀県高島町)出身の小野家は万治年間(1658~61)ごろ初代則秀らが,盛岡に出て,奥羽物産と上方物産の交易で財をなしたが,2代直嘉の次男唯貞(1662~1732)は,盛岡で成功した叔父村井権兵衛(直嘉の弟)を頼り,盛岡に下り叔父を助け,権兵衛亡きあとはその跡を継いで,村井伊兵衛と名乗った。伊兵衛は奥羽の砂金を京都に送っていた関係から京都に進出する必要を感じ,元禄3(1690)年京都に出て,鍵屋と称する店を買い取り,自らここに移住して質屋を営み,小野権右衛門,屋号鍵屋権右衛門と称した。また,盛岡,江戸,大坂にも店を持った。以後,この小野家の当主の通り名が権右衛門となる。しかし,小野京都三家(善助家・助次郎家・又次郎家)とは区別されており,明治初年三家が小野組と称されたときも厳密にはその一部ではなかったが,血縁的に密接な関係にあり,三家と協力関係を維持した。明治初年に京都店を閉店,盛岡を中心に営業活動を展開した。<参考文献>宮本又次『小野組の研究』全4巻

(宮本又郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の小野権右衛門の言及

【小野組】より

…1662‐63年(寛文2‐3)ころ次男の主之が盛岡に下り,近江屋を称し,村井権兵衛を名乗った。甥の子供である盛岡紺屋町の井筒屋の小野善助(1708上洛),京都の鍵屋の小野権右衛門,南部で〈紺印〉の祖となった小野清助などがこれに協力した。小野一族は繰綿,木綿,古手などの雑品を南部にもたらし,砂金,紅花,紫根,生糸などを上方,江戸に送って利益を得て,南部に定住し,質屋,酒・みそ・しょうゆの製造販売をした。…

※「小野権右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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