日本歴史地名大系 「小金城跡」の解説 小金城跡こがねじようあと 千葉県:松戸市大谷口村小金城跡[現在地名]松戸市大谷口江戸川の東岸、下総台地最西端に位置する戦国時代の平山城。高城氏の居城で大谷口(おおやぐち)城・開花(かいか)城ともよぶ。江戸川流域の沖積平野との比高は約一五メートル。遺構は東西九〇〇メートル・南北六〇〇メートルに及び、南西端に本城、その北に中城を置く。本城・中城の東から北を囲うように外馬場があり、その北に馬屋敷を配する。さらに外馬場の東にも三―四の郭を配し、北東端に高城氏開基と伝える大勝(だいしよう)院があり、南東方の小金東漸(とうぜん)寺は当城の出城的存在であったとみられる。享禄三年(一五三〇)に着工し、天文六年(一五三七)に完成したとされるが(八木原文書)、同七年以降に築城され、永禄四年(一五六一)に拡張したとの説もある。同年七月には古河公方足利義氏が一時「小金迄被移御座」しているが(七月一五日「北条氏康書状写」野田家文書)、この小金(中世には単に金とも記した)とは当城のことと思われる。永禄年中、この辺りは足利義氏・千葉氏・小田原北条氏などの勢力が接する位置にあたり、高城氏はいわゆる境目の領主であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by