日本歴史地名大系 の解説
小高御厨・小高庄・小高下御厨
おたかのみくりや・おたかのしよう・おたかしものみくりや
〔小高御厨の成立〕
小高御厨の前身である小高庄は、伊勢守大江広経(質侶牧を立庄した遠江守大江公資の子)が「本主」から伝領したが、国判が得られず荒野となっていたところ、広経の子公仲が嘉保元年(一〇九四)春に藤原兼実(道長の曾孫)を本家に仰ぐ庄園として再興した。ところが公仲は同年一一月に隠岐島へ配流されることになり、翌年一月一〇日に娘仲子に小高庄の支配を託した(以上「大江公仲処分状案」金比羅神宮所蔵富田光美旧蔵文書)。保安二年(一一二一)三月五日、仲子は外宮権禰宜度会忠倫を口入人(仲介者)として小高庄を伊勢神宮に寄進し、ここに小高御厨が成立(天承元年一〇月二二日「小高厨上分米寄進状案」光明寺古文書)。以後忠倫の地位は、小高御厨口入神主職として権禰宜度会氏に相伝されていく(建長二年六月一五日「度会彦輔譲状案」・建武二年九月一五日「伊勢神宮祭主下文案」同古文書)。
〔伊勢神宮領としての概要〕
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報