尚之信(読み)しょうししん(その他表記)Shang Zhi-xin; Shang Chih-hsin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尚之信」の意味・わかりやすい解説

尚之信
しょうししん
(1636―1680)

中国、清(しん)初の武将。平南王尚可喜(かき)の子。漢軍鑲藍(じょうらん)旗人。広州の父のもとで軍務を助けたが、放縦な性格で父とあわず、1673年父の隠退願いをきっかけに三藩の乱が起こると、当初父とともに清朝側にとどまったが、76年父の隠棲(いんせい)により藩務を代理するに及び、反乱側に投じた。しかし出兵や兵糧供出には消極的で、10か月後ふたたび清朝に帰順し、旧職を復された。その後、清朝の再三の広西出兵命令に従わず、また、残忍さを部下に恨まれて不忠の咎(とが)で弾劾され、80年逮捕されて広州で自殺を命ぜられた。

[岸本美緒]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尚之信」の意味・わかりやすい解説

尚之信
しょうししん
Shang Zhi-xin; Shang Chih-hsin

[生]?
[没]康煕19(1680).9. 北京?
中国,清初の武将。 鑲藍旗漢軍旗人。平南親王尚可喜長子順治帝康煕帝側近として仕えていたが,康煕 10 (1671) 年に可喜を助けて軍隊を統率したが,専横のふるまいが多く,可喜と対立した。同 12年に可喜が引退を請うたことから三藩の乱が始ると,之信は清側にとどまったが,同 15年に呉三桂の軍に囲まれ,可喜の配下の武将が三桂にくだると,之信も可喜にそむいて三桂にくだった。しかし,三桂のために出兵はせず,まもなく清朝に忠節を誓ったので可喜の平南親王を襲封した。これ以後も清軍とともに出兵しなかったので清朝の不信を買い,また配下の武将や弟の尚之孝にもそむかれ,同 19年4月に捕えられて北京に送られ,同年9月に処刑された。

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世界大百科事典(旧版)内の尚之信の言及

【三藩の乱】より

…彼らは清に下った明の武将とその子孫で,清の中国平定に力を尽くし,王爵を与えられ,有力な軍団を率いて南中国の諸地に駐し,強大な勢力をふるった。1673年(康熙12)康熙帝が三藩を撤去しようとすると,まず呉三桂が反乱を起こし,ついで耿精忠や陝西の提督王輔臣らが反乱に加わり,台湾の鄭氏も援助し,76年には尚可喜の子,尚之信も反した。三藩側の勢いは初め盛んで,清は苦境に立ったが,やがて形勢が逆転し,王輔臣,耿精忠,尚之信らは清に投降した。…

※「尚之信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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